世界のGDPを「主要言語」で分類する=「どの言語が経済的に優勢か?」

外国語学習者にとって、どうしても気になるのは、自分の勉強している言語が、どれだけ世界で話されているか。

本ブログでも、「実用のことは気にしない」と言い続けておきながら、

やはり、たまには、気になるので、、、

休日にネットでいろいろな統計数値を見ていて、ちょいと、この疑問を整理してみましたので、以下にて、ご紹介です。

各言語の「話者の人口」については、ネットにたくさん、データがありますが、今日、私がやってみたのは、「世界各国を主要言語ごとに割り振って、それぞれのGDPを足し上げてみよう」というもの。

つまり、「話者人口」でいうならば、英語が圧倒的で、中国語、スペイン語、アラビア語が強いことは、だれでも予測できるのですが、

「その言葉を主要言語としている国の経済力」で見た場合、アラビア語やスペイン語は後退して、ドイツ語やフランス語やイタリア語といった西欧の言葉が一気に上位にくるハズ!という仮説での試みです。

難しいのは、何をもって「その国の主要言語」と判定するか、ですが、これは、スイマセンが、私の主観でかなり決めさせていただきました。中国と台湾は、四の五のいわず、まとめて「中国語圏」ということに。インドやジャマイカは事実上の「英語圏」ということに。ベルギーのように、オランダ語とフランス語が拮抗(というかガッツリ対立)している国については、私の主観で、どちらかに割り振りさせていただきました(こういうのは政治的な問題があり申告なので、どちらに割り振ったかは秘密にします、、!)。

2017年の実質GDPで割ってみたところ、まず最初に、普通に「各国別」で割った場合が、これ。ご存知の通り、アメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスと並びます。

これを、国別、ではなく、主要言語別、で振り分けてみましょう。

こうなります。英語が一気に強力になりました!中国語、日本語の相対的な地位はそんなに変わらない。スペイン語が好きな私にとってうれしいことには、この区分にすると、スペイン語が「世界第四位の強力言語」ということになってしまうこと!しかも、ラテンアメリカをかかえている以上、これから伸びしろがあるのも魅力ですね。

そして、私としては、スペイン語とポルトガル語とイタリア語はできるだけ平行で勉強しているところ(かつ、そのように人にも勧めているところ)。この三か国語は似ているので、一緒に覚えやすいのです。この私の理論をあてはめて、スペイン語・ポルトガル語・イタリア語を、ひとつの言語圏だとみなした場合は、こうなります。

スペイン・ポルトガル・イタリア語が第三位につけました。

だからなんだ? と言われればそれまでなデータですが、少なくとも、スペイン語にはまだ未来がある、何かこれからもやってくれそうな言語である、という気にはさせてくれるデータとなりました。この表を机の前に張り出して(?!)、これからもスペイン・ポルトガル・イタリア語の三か国語への学習モチベーションを盛り上げていこうと思います!

コロンビアのホラー映画『スクワッド 荒野に棲む悪夢』は快作になるまであとわずか数センチメートルの怪作だった話

とにかくいろんな国のスペイン語に触れてみたい一心と、

生来のホラー好きが重なりまして、

ラテンアメリカ発信のホラー映画と聞くと、食指が動いてしまう私。

今回は、これまた珍しい、コロンビアのホラー映画を鑑賞しました。

※ちなみに、な愚痴ですが、本作のデータを調べようとネットで「コロンビアのホラー映画」と検索したら、アメリカのコロンビア映画社関連のページばかりに誘導されるのは、なんとかならないものか、、。

ストーリーとしては、対ゲリラ戦闘中の陸軍の小部隊が(この設定自体、いかにも、コロンビア、ですが、、!)、霧に包まれた山中で身動きがとれなくなっているうちに、一人また一人と、「ナニモノカ」の犠牲になっていく、というもの。

映像の上でも、ストーリー上でも、説明的な部分がまったくない。結局、彼らを襲っていたものがなんだったのか、曖昧なまま。いやそもそも、超常現象的なことは何もなく、すべてが彼らの妄想による同士討ちだったのかもしれない。そういう意味では厳密にはホラーではないのかもしれない。そんな不思議感覚に誘われる作品です。面白いか、面白くないか、と言われると、、、ううむ、よくわからないw。映像や照明の当て方にものすごく凝っていて、それなりに最後まで興味深く見てしまったけれども、面白いかというと、あとほんの数センチ、何かが足りない。撮り方が面白いので、よほど映画が好きな人なら、「そうきたか」「そう撮ったか」と呟きながら楽しめるでしょう。

個人的に気になったところとして、この映像感覚、なんだか、既視感があると思っていたのですが、、、

霧の向こうにかすかに見える影とか、屋内での光と物陰のコントラストとか、、、

見終わって、しばらくして、気づきました。日本のホラーゲーム、『サイレントヒル』の雰囲気に似てる!別にどちらかが似せたとかいう話ではなく、霧に閉ざされた廃墟というシチュエーションが必然、似た感じにさせちゃった、ということなのでしょうが、

言われてみると、「主人公の妄想なのかどうかも曖昧」という雰囲気そのものについても、どこか、本作と「サイレントヒル」は似ているのではないかしら、などと、思ったのでした。

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アルゼンチンのホラー映画『テリファイド』に、どこか懐かしいJホラーの薫りを嗅ぎ取った話

スペイン語の勉強をしていると、たまに、こういう掘り出し物に出会えるから、嬉しくなります。やはり、外国語の勉強というものは、やっておくものですね。日本語でも英語でもない第二外国語・第三外国語をやる喜び—それはつまり、日本語圏でも英語圏でもない地域のサブカルチャーを漁色する楽しみにつながるわけです。それにしても、まさかまさか、アルゼンチンのB級ホラー映画なる領域で、懐かしいJホラーのテイストに出くわすとは、思ってもみなかった。


ブエノスアイレスの住宅街を突如襲う、怪事件の連続。排水口から聞こえる謎のうめき声とか、突然動き出す椅子だとか、壁の向こうから響いてくる「ドン、、、ドン、、、」という一定周期の謎めいた低音だとか。いわゆるポルターガイスト現象を扱ったオカルト系かと思わせておいて、からの、露骨なモンスターが「バーン!」とばかりに突然出てくるショック。いやもう、お化け屋敷のコワ楽しさ、そのままです。子供の死体のくだりだけ、あまりにグロテスクで、ワビサビを好む日本に生まれた人間の心情からすると、ちょっと、きつかった。

でも、これはもう、見れば見るほど「『リング』やら『呪怨』やらを徹底研究してくれたのでは?」と邪推するほど、どこか懐かしいJホラーのテイストが満載。最近、この手の、「音でビビらせる」「カメラの視界の外からの『バーン!』な写りこみでビビらせる」ギミックが日本映画では流行らなくなっていたので、その手の手法がアルゼンチンの若い監督に継承されていた、というのは、なんとも嬉しいかぎりなのでした。

私自身は、アルゼンチンのスペイン語のリスニング訓練をしたくて、字幕なしで鑑賞チャレンジした映画。みなさん、かなりの早口で、スペイン語のリスニングにはなかなか苦戦しましたが、セリフを半分くらい理解できなくても、ストーリーを楽しむ上では、特に支障のなかった(!)映画体験となりました。

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秋山好古と山県有朋の会話場面から明治軍人の「意見具申」の在り方を英語で学ぶ

ついに英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回は、フランス留学時代の秋山好古が、ヨーロッパ視察中の山形有朋と会い、若輩ながらも勇気をもって意見具申をする場面をとりあげます。

まだ陸軍の大御所である山県に名前も覚えられていない段階の秋山好古が、「日本陸軍はドイツ式の乗馬術を採用しようとしているが、それはやめて、フランス式を採用すべきである」という意見を具申することで、目にかけられるきっかけを作る場面となります。若い世代の中から優れた人材を見つけ、その人材にある分野の研究を一任してしまう、というのが、司馬遼太郎の紹介する「明治国家の組織のやり方」なわけですから、この邂逅で「騎兵の研究は、秋山好古がやっている」という認識が山形有朋の中に刷り込まれるのは、とても大事な場面、といえるわけですが。

山形有朋と秋山好古の最初のやり取りは、以下のように描写されます。

「君は、たれかね」
好古は、不動の姿勢をとった。
「陸軍騎兵大尉秋山好古であります」
ありますという軍隊用の敬語は、ふつうの日本語にはないが、長州弁にだけはそれがあって、山県が正式の軍隊語としてそれを採用したと好古はきいている。

「〇〇であります」という軍隊語のルーツが長州弁、というのも率直な驚きですが、この日本語、さぞかし、英訳しにくいところだったでしょう。英訳版では、どうしたかというと、

“And who are you?”
Yoshifuru stood at attention. “Army Cavalry Captain Akiyama Yoshifuru, sir!” He employed a humble verb form not found in standard Japanese but used in the Choshu dialect. It had been introduced as standard army usage by Yamagata himself, Yoshifuru remembered hearing.

さすがに、「〇〇であります」という言葉遣い云々の詳細を説明する余裕はなかったようで、上記のとおり、あっさりと訳されてしまいました。

この後、秋山好古が、山県有朋の随行将校に許可をとった上で、意見を述べるところが、以下。

好古は、この社会でいう不動の姿勢をとった。騎兵ズボンの腰がはちきれるほどに肉がつきはじめている。
「申しあげたい結論は、馬術という一点においてはドイツ式が欧州馬術会の定評になるほどに欠陥があり、フランス乗馬術がきわめて優越性に富んでいる、ということであります」
といった。こういう、結論から意見を出発させてゆくという方式も、メッケルが日本陸軍におしえたところであった。

Yoshifuru stood at attention. His thighs were so well fleshed that his cavalry trousers seemed about to split at the seams. “What I want to say, sir, is that, with regard to horsemanship, the German style is known throughout Europe for being flawed, while the French style is much superior in quality. That is all, sir.” This method of starting from the conclusion was one that Meckel had taught the Japanese military.

日本陸軍の近代化に絶大な影響を与えたドイツ軍人メッケルの教育が、上官に対する報告のコトバ使いにまで好影響を与えていた、とするくだりです。結論を先に、てきぱきと述べる。この癖は、明治軍人のメソッドというのみならず、現代のビジネス世界でも見習いたい癖ですね。

ちなみに、繰り返されるStand at attentionは、「直立不動の姿勢」、すなわち、号令でいう「気をつけ!」のことです。あわせて、覚えてしまいましょう。

【キーワード】
stand at attention=「気をつけ(の姿勢で立つ)」

と、格好よくアピールできたはずの、秋山好古。この直後に、山形有朋にフランス軍の高官たちへのお土産を渡すお使いを頼まれたところ、汽車の中で泥酔してしまい大失敗をしてしまいます。もっとも、それを受けた山県も、「この後はその手の雑務は任さないようにした」くらいのペナルティで収めてくれたようで。

この「山県有朋のお使いで大失敗をした」という話は、秋山好古の伝記でも語られているエピソードなので、どうやら司馬遼太郎氏の創作ではなく、若いころに本当にあった事件のようです。好古の豪快豪放さも凄いが、なんとなく、それを許容している明治陸軍組織の雰囲気というのも、凄い。

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フランス留学時代の秋山好古の目を通して「世界史上の四人の天才騎兵使い」のことを英語で学ぶ

ついに英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回は、軍事史好きや世界史好きにはたまらないくだりに入っていきます。

前回紹介した通り、実り豊かなフランス留学生活を送る、秋山好古。そんな中、彼は面白い出会いに恵まれます。フランス陸軍きっての博学な老教官と出会い、この人から徹底的に、ヨーロッパにおける「騎兵」の歴史を物語として教え込まれるのです。

この、フランス人老教官と、若き日の秋山好古の対話が、めちゃくちゃ、面白い!

そもそも、何を隠そう、この私自身と『坂の上の雲』との長い付き合いの始まり自体が、この場面をきっかけにしているのです

このブログでも何度か述べてきた通り、私が『坂の上の雲』のファンになったのは、十代の高校生の時でした。人に勧められるままに第一巻を読んでいて、このくだりに差し掛かった頃から、「三国志」やら「信長の野望」やらのおかげでもともと歴史好きであった十代の私の心は燃え始め、そして、すっかり、『坂の上の雲』にハマってしまったのです。

このフランス人老教官が、世界史上には「四人の天才的な軍事指揮官がいた」と述べ、騎兵というものを本当に効果的に使えたのは、その四人だけだった、と説明するあたりから、十代の男子高校生の心が燃える話ばかりになります(以下、女子にはついてきにくい話になります、あしからず、、、)。

かれはその四人の名前をあげた
モンゴルのジンギス汗
プロシャのフレデリック大王
フランスのナポレオン一世
プロシャの参謀総長モルトケ

In his list he named the Mongol Genghis Khan, Frederic the Great of Prussia, Napoleon I of France, and Moltke, chief of the General Staff of Prussia.

世界史が好きな一人の男子高校生が、この部分を読んで、「この四人をよくぞ選んでくれた!」と膝を打って喜び、そのまま文庫で全八巻の大河小説を読み切って、読書好きになってしまったのです。それくらいのインパクトがある「グッドチョイス」だと思うのですが、、、いかがでしょう?!

ともかく、なぜこの四人が重要なのか、フランス老教官の話をもっと追っていきましょう。

老教官にいわせると、天才的戦略家のみが騎兵を運用できるのだ、騎兵の不幸はそこにある、という。

In the professor’s view, only a strategist of genius could direct the cavalry, and that was the cavalry’s great misfortune.

「古来、騎兵はその特性どおりにつかわれた例はきわめてまれである。中世以後、四人の天才だけが、この特性を意のままにひきだした」

“Throughout history, the cavalry has only rarely been used in a way that takes advantage of its unique capacities. Since the Middle Ages, there have been only four commanders of genius who have been able to do that.

老教官にいわせると、騎兵は歩兵や砲兵とはちがい、純粋の奇襲兵種であり、よほど戦理を心得、よほど戦機を洞察し、しかもよほどの勇気をもった者でなければ、これはつかえない。

The professor’s view was that, unlike the infantry and artillery, the cavalry was a purely offensive force and could be effectively used only be someone who fully understood the principles of warfare, could discern the time to strike, and had the courage to do so.

中央アジアの大草原で、あるいはヨーロッパの大地で、大騎兵集団を動かしているこうした「世界史上のビッグネーム」のことを思うと、ロマンに胸が熱くなるのは十代の頃の私だけではないはず。「十代の頃の」「十代の頃の」としつこく書いている通り、大人になっちまった今の私はそんな昔の青臭い感慨には二度と浸れない、という悲しさもあるのですが(IT企業のサラリーマンだし、、)、初めてこの本を読んだ時の感情を懐かしさを込めて思い出しながら、今回の記事を書いた次第です。

【キーワード】
チンギス・ハン: Genghis Khan
フリードリヒ大王:Frederick the Great
ナポレオン:Napoleon
モルトケ :Moltke

もっとも、いまさら気づいたのですが、この四人のチョイス、よくよく見るとモルトケだけ、通好みで、なんだかちょっとシブいチョイスだな。。。

なにはともあれ、フランス陸軍の古参教官から、こんな楽しい歴史講釈を聞けた、秋山好古。しかし、さすがは明治軍人、ここで「ヨーロッパはすごいですね!」と引き下がるのではない。「先生はフランス人だから、アジアのことはご存知ない。騎兵運用の天才なら、たとえば日本にも二人います。それを加えて、世界の六大天才と言わねばならない」と、格好のいいことを言ってくれます。そこで好古がフランス教官に紹介するのが、源義経(鵯越の戦い)と織田信長(桶狭間の戦い)で、これを聞いたフランス人教官がやけに感心して、「そうか。今後からは、世界の六大天才ということにしよう!」と言ってくれるのが、これは小説上の演出とわかっていながらも、とても嬉しく感じてしまう、楽しいシーンなのでした

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英語版『坂の上の雲』から、「日本騎兵の父」秋山好古のフランス留学の日々を読む

前回紹介した通り、日本陸軍がドイツ陸軍を模範としていく方針の中で、秋山好古についてはドイツ留学ではなく、フランスへの留学が決まってしまいます。

もっとも、結論としては、このフランス留学は好古にとってとても実りが大きいものとなります。のちに好古は、少なくとも馬術に関してはフランス流こそが日本が学ぶべきものだと考え、その旨を陸軍内で提案していくほどになっていきます。

今回からは、その好古のフランス留学生活を、また日本語版・英語版比較をしながら、見ていきましょう!

まず金銭面についてですが、これは、かなりの苦労を強いられた様子です。小説での描写は以下のようになっています。

途中、「秋山がパリで窮迫しているらしい」というつわさが本国にきこえた。同時にこの留学で好古の騎兵研究が飛躍的にすすんでいるといううわさもきこえ、「日本の騎兵は、秋山大尉の帰国によってはじめて騎兵らしくなるだろう」という期待ももたれていた。

Midway thorough his stay, the rumor that he was living in straitened circumstances in Paris reached Japan, along with the rumor that his cavalry studies were progressing by leaps and bounds. “Japan’s cavalry will become a cavalry in more than name only after Captain Akiyama’s return” — this was the expectation.

日本本国からの期待の高さに比べると、金銭面で窮迫、というのは、一聴すると、アンバランスな話に思えます。ですが、これは自分で馬を飼っておかねばならない騎兵将校という役柄上の辛さと、好古本人のお酒の付き合いの多さのせいもあってのことのようなので、一概に留学費の支給が少なかった云々というわけでもないようですが。

なお、戦史に詳しい方は、こういう歴史小説でMidwayという単語が出てくると、どうしても「あの」ミッドウェイのことを思い出してしまうのではないでしょうか。太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェイ諸島ですね。ミッドウェイの戦い自体も深堀りすれば実にいろいろな教訓が出てくる題材なのですが、「坂の上の雲」を扱うこの記事では、そちらには脱線しないようにして。日本の戦史好きにはとても覚えやすい英単語、Midwayの本当の用法のほうを、せっかくだから覚えておきましょう。

【キーワード】
Midway:「途中で、中間で」
”Midway through the race”=「レースの途中で」
“The midway point of the project”=「プロジェクトの中間点」

それにしても、金銭的に窮迫していたとはいえ、生来のお酒好きの好古にとって、「現地のフランス軍人たちとのお酒の付き合いが多かった」というのは、なんだかとても楽しそうな!

さて、その好古がフランスで研究していたのは、別の回でも説明した「重騎兵」「軽騎兵」「竜騎兵」という兵科のうちの、特に「軽騎兵」の運用に関して、でした。

ヨーロッパの騎兵にはいろいろの種別があるが、日本陸軍はその実情(経済的理由がおもだが)からして軽騎兵のみが採用されていた。

There were various types of cavalry in Europe, but the Japanese Army made use only of the light cavalry for practical reasons, economics most important among them.

日本はこの軽騎兵しか採用する能力がなかったが、しかしそれだけに課題は複雑で、この軽騎兵に他の重騎兵や竜騎兵の機能や戦闘目的をつけ加えようとするものであった。この計画はヨーロッパからみれば、およそ乱暴な発想であったかもしれなかったが、この種の無理やつぎはぎをやっていく以外に日本人がヨーロッパ風の近代軍隊の世界に参加してゆくことはできない。

Japan had only the ability to employ the light cavalry, but that made matters all the more complex since they tried to assign the functions, battle aims, and other duties of the heavy cavalry and the dragoons to the light cavalry. This plan may seemed like a wild idea to Europeans, but there was no way that the Japanese could participate in the world of the modern European military without patching things together like this.

ヨーロッパの騎兵というのは伝統も長い上に、種類や組織体系も洗練されているが、日本は急いで、小規模ながらもすべての騎兵の役割をこなせる効率的な騎兵組織を整備しなければならない。これが秋山好古が取り組む課題となります。

要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけでなく、帰国したのちは好古自身がその建設をしなければならない。

In other words, the Japanese Army was entrusting to this young captain of barely thirty all the research necessary for building its cavalry.

この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯の日本のおもしろさはこのあたりにあるであろう。

Matters relating to the cavalry were handled this way, and all other aspects of Japanese life got the same treatment as well. It was this above all that must have made life in the “little household” of early to mid-Meiji Japan so interesting.

さぞかし大変な留学生活だったと思いますが、たった一人で「日本におけるその分野のパイオニア」と見なされ全面的にバックアップされるのは、やはり、男性目線からすると、うらやましい働き方。

この時代には、他の様々な分野でも、「この分野はオレ一人がヨーロッパから日本に導入するために研究しているんだ」と自負し、かつ周囲からそう期待されていた若者が、たくさん、いたのでしょう!

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英語版『坂の上の雲』から、明治陸軍とフランス・ドイツとの関係を覗き見る

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。今回は、前回取り上げた「海軍兵学校(The Naval Academy)」の章の後半部分、秋山兄弟の兄、好古の、陸軍での成長を見ていきます。

前回も記した通り、明治日本は、海軍はイギリスに、陸軍はドイツを模範としました。ですが陸軍に関しては、その方針は最初から決まっていたわけではなく、

日本陸軍は、旧幕府がフランス式であったことをひきついだ。明治三年十月、政府は、「海軍は英式、陸軍は仏式による」と、正式に布告した。

The Japanese army had continued the tradition established by the shogunate and modeled itself on the French Army. In October 1870, the government officially decreed, “The navy is to be modeled on Britain’s example, the arm on France’s.”

という次第で、秋山好古を含めた初期の陸軍士官学校の卒業生達は、むしろフランス語を徹底的に叩き込まれておりました。

この方針が大転換するきっかけとなったのが、普仏戦争でフランスがドイツ陸軍に完敗する、という大ニュースでした。以降、日本陸軍は、よくも悪くも、ドイツ陸軍を模範として成長していくことになります。

さらにこの普仏戦争の勝利は、参謀総長モルトケが独創して体系化したその戦略戦術の勝利であるといっていい。モルトケ戦術のあたらしさは、主力殲滅主義にあるであろう。戦場における枝葉の現象に目もくれず、敵の主力がどこにいるかをすばやく知り、味方の最大の力をそこに集結させて一挙に攻撃し殲滅するというものであった。日露戦争における奉天大会戦で日本陸軍がとった方法はこのモルトケの思想であるといていい

The Prussian victory was also a victory for the strategy and tactics devised and systematized by Moltke, the chief of the General Staff. What was new in Moltke’s strategy was its emphasis on annihilation of the enemy’s main forces. He was uninterested in nonessential battlefield details. He tried immediately to determine where the enemy’s main forces were, concentrated his side’s strongest forces precisely there, launched a fierce attack, and thus overwhelmed the enemy. The methods adopted by the Japanese Army in the great battle of Mukden in the Russo-Japanese War were based on these ideas of Moltke.

こういうものを読むと、いかに、普仏戦争におけるドイツ(当時はまだ「プロイセン」)の完勝というものが世界史に巨大なインパクトを残したかがわかります。日本でもファンが多い(と個人的には思う)ドイツ陸軍の名参謀総長、モルトケの名前が出てきましたが、ここでついでに、十九世紀ドイツ陸軍関連の用語を整理しておきましょう。

【キーワード】
普仏戦争:Franco-Prussian War
参謀総長:the chief of the General Staff
殲滅・全滅・圧勝:annihilation(アナイアレイション)

日本陸軍がその制度を模範としたというドイツ参謀本部の歴史を詳しく知りたい方は、以下の渡部昇一氏の著作がオススメです。渡部昇一は英語学の名著を出している傍らで、こんな軍事オタクな入門書も出してくれているのです。

ドイツから教官を呼び寄せ、陸軍の若い秀才たちも続々とドイツに留学していく中、秋山好古は、ちょっとした運命のいたずらで、注目株のはずのドイツ陸軍ではなく、フランス陸軍に留学することになります。しかしそれはそれで、好古が五年間をかけてパリに留学したことが、少なくとも日本の「騎兵」の発展にとっては重要な布石になるのです。その、好古のフランスでの修行生活を、次回は見ていきましょう!

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英語版『坂の上の雲』の「海軍兵学校」の章から、明治初期の英語エリート教育の様子を見る

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。名セリフや名場面がどのように英語圏で訳されたかを見ていくこの企画ですが、今回は、「海軍兵学校(The Naval Academy)」の章を見ていきます。

前回取り上げた経緯から、大学へ入る道を捨てて、海軍に入ることにした、秋山真之。

もともと秀才であった真之は、なんなく入試を突破し、築地の新名所となっていた「海軍兵学校」へ入ることになります。

明治海軍が築地をもってその技術関連の根拠地にしたのは、すでに明治二年からであった。

The navy had made Tsukiji its base for technical training since 1869.

私たちのような英語学習者から見れば、注目すべきは、そこでの生活が、徹底した「英語漬け」の生活であったこと。

海軍兵学校の生活は、日本的習慣から断絶している。生徒の公的生活の言語も、ほとんどが英語であった。

Life at the Naval Academy was completely cut off from the customs of Japanese everyday life. For their public activities, the students spoke almost entirely in English.

教科書も原書であり、英人教官の術科教育もすべて英語で、返答もいちいち英語でなければならない。号令も大半が英語であり、技術上の術語も、軍艦の大小についての名称もほとんどが英語であった。

The textbooks were in English, as were the specialized lectures of the British instructors. Student responses to questions all had to be made in English. The majority of orders were given in English, and technical terms as well as the names for the various part of the ships, large and small, were in that language as well.

真之らが日本に居ながらにして本場の英国式海軍教育を受けられるようになったのは、それだけ明治日本の進歩といっていい。

That Saneyuki and his contemporaries were able to receive a British-style naval education while remaining in Japan was a sign of just how mush progress Meiji Japan had made.

今から見ても、英語教育という点で、実にうらやましい環境と言えるわけですが、これはもちろん、本作の主人公たちが当時の超エリート学生だから許される光景というわけで。私のような、別にエリートでもないサラリーマンでも、余暇さえ見つかればネットや図書館や英会話スクールでいくらでも自分の生活を英語漬けにできる現代のほうが、やはり、恵まれておりますな。

そう思えば、なおさら、英語学習にも気合が入ります!

ところで、どうして明治海軍が、このような「英国式」徹底主義をとったのか、というと。。。

陸軍がドイツ陸軍を模範とすることを方針としたのに対し、海軍は世界に名だたるイギリス軍を模範とすることを方針に据えたから、となります。その選択の理由は、この小説の中では、イギリスから派遣されてきた教官のダグラス少佐の言葉として、こう説明されています。

「この極東の島国の地理的環境ははなはだ英国に酷似している」

The geographical environment of this island nation of the Far East very much resembles that of Great Britain.

「英国はその国土こそ小さいが、その強大な艦隊と商船団によって世界を支配した」

Great Britain was a small nation, but it ruled the world through the power of its naval and commercial fleets.

「日本帝国の栄光と威厳は、一個の海軍士官にかかっている。言葉をひるがえせば、一個の海軍士官の志操、精神、そして能力が、すなわち日本のそれにかかっている」

The dignity and glory of of the Japanese Empire depends upon each naval officer. And, conversely, the will, spirit, and abilities of each naval officer depend on those of the Japanese nation.

ちなみに、英訳版にしつこく出てくる「naval」(ネイヴァル)は、「海軍の」という形容詞。本書『坂の上の雲』を読むには海軍関係の英単語語彙は必須単語となりますので、その導入として、navalのつく語彙を整理しておきましょう。

【キーワード】
naval:海軍の〜
a naval officer(海軍士官)
a naval academy(海軍学校)
a naval power(海軍大国)

もっとも、真之の在学中に、海軍兵学校は広島の江田島に移転します。おかげで真之にとっては、故郷の松山が近くなり、家族や同郷の仲間たちとの温かい交流が再開されるよいきっかけにもなるのですが、

物語はここで、いったん、海軍の真之のところを離れ、ドイツ式を採用した陸軍の世界の中にいる、兄の好古の物語に戻っていきます。次回は、その様子を見ていきましょう。

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英語版『坂の上の雲』の「七変人」の章からeccentricの用法を学ぶ

前回は秋山好古の若き日の情景を追いましたが、続く章、「七変人(seven eccentrics)」では、大学予備門の学生生活を謳歌する、秋山真之と正岡子規の青春の情景が描かれます。今回は、この章を見ていきましょう。

同じ下宿に住まい、将来は「一緒に文学をやろう」と語らいながら、自由奔放な日々をのびのびと楽しむ、真之と子規。やがてこの二人のうちの片方は、日露戦争で心身をすり減らす激務に巻き込まれること、もう片方は死病に文字通りもがき苦しみながら早世することを知っている読者としては、どうにも、まなじりが熱くなってしまうパートです。

章題の「七変人」は、英語版ではseven eccentricsと英訳されています。

大学予備門の生活は、子規にとって快適であった

Life as a student in the Preparatory School was very pleasant for Shiki.

そういうなかで、子規の親友が六人あり、子規はこのなかまを「七変人」と称して得意になっていた

Shiku has six especially close friends, and he took pride in listing them with himself as “the seven eccentrics.”

子規はこの連中と娘義太夫にかよったり、下宿で牛鍋を食ったり、議論したり、なにもすることがなくなると腕ずもうをしたりした

Together with this group, Shiku would go to hear dramatic recitations given by young women, eat dinners of sukiyaki at the boardinghouse, argue about all manner of issues, or, if there was nothing better to do arm wrestle.

「エキセントリックな人」は和製英語にもなっていますね。奇矯な人、個性派な人、というような意味です。「変人」といっても、特別な才能をもった人や、アーティスト気質な人を評価する使われ方をするので、悪い意味ではありません。

この章の「七変人」という題にeccentricsという語をあてたのは、まさに、バッチリな訳語の選択、といえるのではないでしょうか!

【キーワード】
eccentric=奇矯な、個性的な

このような楽しい学生生活にも終わりが近づいてきます。秋山真之のほうが、しだいに、自分の進路に迷いはじめるのです。大学へ進む、ということは、この時代のエリート中のエリートコースであり、学者か官僚として大成することが約束されるような話。ですが、真之は、そんな生き方が本当に自分にふさわしい生き方なのかどうか、疑問をもつようになるのです。

生まれてきたからには、何かで、「日本一」になりたい。そのためには、学問や政治の世界ではなく、「まだ先人のやっていない分野がたくさん残っている」世界に入りたい。

つまり真之の心は、しだいに、兄のような軍人になる道へと、惹かれ始めているのです。しかし、大学へ進むという予定を変えることは、ともに文学をやろうと約束していた子規への裏切りになるような気がして、真之は悩みます。

結局、真之は、思い切って、兄の好古に直接、相談にいきます。

いきなり「人間というものはどう生きればよろしいのでしょう」と質問してきた弟に対する、ここでの好古の回答が、とても、いい。

『坂の上の雲』全体を支えるテーマともいえる以下のような人生観が、弟の相談に対する兄の言葉として、こう、語られるのです。

「おれは、単純であろうとしている」

“I always try to think simply.”

「人生や国家を複雑に考えてゆくことも大事だが、それは他人にまかせる。それをせねばならぬ天分や職分をもった人があるだろう」

“Certainly, it’s important to think about the complexities of human life and of national affairs, but I leave that to others. There are people who have the inborn capacity and the professional responsibility to do that.”

(自分は軍人を選んだのだから)「いかにすれば勝つかということを考えてゆく。その一点だけを考えるのがおれの人生だ」

“So I keep on thinking about how we can win in a war. Thinking about that is my life.”

「人間は、自分の器量がともかくも発揮できる場所をえらばねばならない」

“A person has to choose a place for himself where he can realize his abilities, whatever else.”

これを受けて、「それなんじゃが、兄さん」と、真之は自分の想いを語り始めます。大学予備門にいてわかってきたのは、周りにいるのは天下の秀才たちばかりであり、コツコツと勉学を極めていくという点では、自分は彼らには、かなわないかもしれない、ということ。ただし、地道な努力では負けたとしても、「容量がよすぎる」という点では、真之は周りの秀才たちに負けていない、と思っていること。

「自分は容量がよすぎる(too sharp)から、学者や官僚よりも、この利発さを生かせる道があるのではないか」という真之の想いを受けて、好古は「そういうことならば」と、こう言います。

「淳、軍人になるか」

“Jun, do you want to be a military man?”

兄は陸軍へ、弟は海軍へ、という、それぞれの進路が決まった瞬間です。海軍の名参謀、秋山真之のキャリアが始まる勇ましい瞬間ではありますが、この章は、以下のような、余韻を残す印象深い文で、閉じられます。

子規の顔が、うかんだ。おもわず涙がにじんだ。

Shiki’s face came to mind. He could not keep his eyes from becoming wet with tears.

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英語版『坂の上の雲』の「騎兵(cavalry)」の章から、「重騎兵」「軽騎兵」「竜騎兵」の違いを学ぶ

英語版( Clouds Above The Hill ) が出版された、司馬遼太郎の人気小説、『坂の上の雲』。

今回は、第三章に該当する、「騎兵」の章の英訳を見ていきます。この章では、主人公の一人、秋山好古が、「日本陸軍に近代的な騎兵を導入する」という生涯のミッションと出会い、その仕事にとりかかっていく様が描かれます。

秋山好古にとって、これは大変な難題でした。初期の日本陸軍には騎兵がいなかったというのみならず、司馬遼太郎の解説によれば、「日本の歴史上、騎兵隊というものが発達しなかった」「騎兵だけの部隊という発想自体が、きわめて西洋的な伝統であり、日本人にはそもそもわかりにくかった」のです。秋山好古は、西洋の陸軍にある騎兵という兵科が、そもそも何なのか、から、勉強しなくてはなりませんでした。

司馬遼太郎による解説部分と、その英訳を見ていきましょう。

騎兵は、偵察にも任ずる。しかし戦場におけるその本務は、集団をもって敵を乗馬襲撃するにあり、西洋ではこれをもっともはなやかな兵科としていた。

The cavalry is also charged with scouting.
Its primary function in battle, however, is to make mounted group attacks on the enemy.
In the West, the cavalry has always been regarded as the most splendid branch of the military.

(チンギスハンやフリードリヒ大王に次ぐ)この用法の天才はナポレオンであった。かれも白刃をふるっての襲撃を騎兵の本則とさせた。このほかナポレオンが創始した騎兵のあたらしい役割は、捜索であった。

The next genius of this technique was Napoleon, who also established the fundamental rule of that his cavalry must attack brandishing their swords. Apart from this, the new role created for the cavalry by Napoleon was investigation by scouting.

このため、ナポレオンは重騎兵と軽騎兵の二種類をつくった。重騎兵には胸甲を着せ、槍をふるって敵中に突入せしめる。軽騎兵は装備をかるくし、捜索のみに任じさせた。ほかに重と軽の中間の騎兵として「竜騎兵」というものもつくった。竜騎兵は銃を背にかついでときに徒歩戦にも任じた。

He therefore divided his cavalry into heave and light. The former wore breastplates and attacked the enemy with brandished lances. The latter were much more lightly accoutered and responsible for scouring alone. Then he created a group called “dragoons,” cavalrymen midway between the heavy and the light. The dragoons carried rifles on their backs and sometimes were expected to fight infantry battles.

男性の方なら、ある程度、わかってくれると思うのですが、、、野蛮な話とはわかっていても、「重騎兵」とか「軽騎兵」とか「竜騎兵」とかいった、近世近代の兵科の呼称というものには独特のロマンがありますね! 特に「竜騎兵(英語でいうドラグーン)」という名称は、語感がそもそも格好いいな、と思ってしまう。これはファンタジーゲームの影響かもしれませんが、、、。
というわけで、せっかくなので、これらの兵科の英名を覚えておいてしまいましょう。

【キーワード】
cavalry=騎兵
Heavy cavalry=重騎兵
Light cavalry=軽騎兵
Dragoons=竜騎兵

この関係がわかっていると、のちに日露戦争の場面になってから、秋山好古の騎兵隊が、時に偵察で、時には迂回作戦で、時には機関銃を抱えて徒歩兵に変身して(とくに黒溝台会戦の際にこの「徒歩兵への変身」というワザが日本軍全体を救います!)変幻自在に役割を変える妙が、楽しめるはずです。fbf9cb

ともあれ、日露戦争はまだまだ先の話。物語は、秋山好古という若い士官が、まったくのゼロから「近代騎兵」を生み出そうとする苦闘の日々を、爽やかに描いていくのでした。

好古は後年、「騎兵の父」といわれたが、この人物は二十四、五の下級尉官のころから日本騎兵の育成と成長についてほとんどひとりで苦慮し、その方策を練り続けてきた。

Yoshifuru was later to be known as the “father of the cavalry”, and, truly, from his days as a law-ranking officer of twenty-four or twenty-five, he was the one who worried intensely about the development and grown of the Japanese cavalry and kept devising plans for it.

さぞかし、たいへんな人生だったろうなと、思いつつ、

いっぽうで、「そんな大任を若いうちから任されるなんて、羨ましい!」とも思ってしまいます。これもまた、男性の方ならわかってくれる気持ちかと思いますが、、、いかがでしょう?

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