世界のGDPを「主要言語」で分類する=「どの言語が経済的に優勢か?」

外国語学習者にとって、どうしても気になるのは、自分の勉強している言語が、どれだけ世界で話されているか。

本ブログでも、「実用のことは気にしない」と言い続けておきながら、

やはり、たまには、気になるので、、、

休日にネットでいろいろな統計数値を見ていて、ちょいと、この疑問を整理してみましたので、以下にて、ご紹介です。

各言語の「話者の人口」については、ネットにたくさん、データがありますが、今日、私がやってみたのは、「世界各国を主要言語ごとに割り振って、それぞれのGDPを足し上げてみよう」というもの。

つまり、「話者人口」でいうならば、英語が圧倒的で、中国語、スペイン語、アラビア語が強いことは、だれでも予測できるのですが、

「その言葉を主要言語としている国の経済力」で見た場合、アラビア語やスペイン語は後退して、ドイツ語やフランス語やイタリア語といった西欧の言葉が一気に上位にくるハズ!という仮説での試みです。

難しいのは、何をもって「その国の主要言語」と判定するか、ですが、これは、スイマセンが、私の主観でかなり決めさせていただきました。中国と台湾は、四の五のいわず、まとめて「中国語圏」ということに。インドやジャマイカは事実上の「英語圏」ということに。ベルギーのように、オランダ語とフランス語が拮抗(というかガッツリ対立)している国については、私の主観で、どちらかに割り振りさせていただきました(こういうのは政治的な問題があり申告なので、どちらに割り振ったかは秘密にします、、!)。

2017年の実質GDPで割ってみたところ、まず最初に、普通に「各国別」で割った場合が、これ。ご存知の通り、アメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスと並びます。

これを、国別、ではなく、主要言語別、で振り分けてみましょう。

こうなります。英語が一気に強力になりました!中国語、日本語の相対的な地位はそんなに変わらない。スペイン語が好きな私にとってうれしいことには、この区分にすると、スペイン語が「世界第四位の強力言語」ということになってしまうこと!しかも、ラテンアメリカをかかえている以上、これから伸びしろがあるのも魅力ですね。

そして、私としては、スペイン語とポルトガル語とイタリア語はできるだけ平行で勉強しているところ(かつ、そのように人にも勧めているところ)。この三か国語は似ているので、一緒に覚えやすいのです。この私の理論をあてはめて、スペイン語・ポルトガル語・イタリア語を、ひとつの言語圏だとみなした場合は、こうなります。

スペイン・ポルトガル・イタリア語が第三位につけました。

だからなんだ? と言われればそれまでなデータですが、少なくとも、スペイン語にはまだ未来がある、何かこれからもやってくれそうな言語である、という気にはさせてくれるデータとなりました。この表を机の前に張り出して(?!)、これからもスペイン・ポルトガル・イタリア語の三か国語への学習モチベーションを盛り上げていこうと思います!

本気で空海先生に倣うなら人生の目標は「地上の全言語を習得」たるべし、と思う話

本当に、この話題がしつこくて申し訳ございませんが、弘法大師こと空海先生が大好きです。仏教の偉人というよりも、語学の達人としての生き様に、深い畏敬の念を抱いております。

そういう次第で、今日も世界の様々な言語の勉強にいそしんでおりますが、

かつて本ブログの別の記事にも書いた通り、空海先生の文章の尋常ではない思考の幅の深みは、「やまとことば」「漢文」「サンスクリット」の三言語の精神を体得していたからではないでしょうか。

多種多様な言語に深く習熟すると、そもそもの母国語での思考が結果として大海のように広く深く豊かになる。そんな好例を、ここに見るとするならば、

やはり私は、外国語をがんばらねば。私は仏教僧ではないし、これからどんなにがんばっても弘法大師様のようなスーパーな存在に覚醒できるはずもないが、せめて「マルチリンガル」な精神だけでも学びたいと、あらためて、思うのでした。

そしてさらに言うならば、今の時代、情報テクノロジーのおかげでたくさんの言語を並行で習うこと自体はできるのだから、目標は、「生涯のうちに、1ヶ国語でも、多く!」と置いておきたい。

「では、結局、何カ国語くらいが理想なの?」と問われれば

理想でいうなら、夢は高く、「地上の全言語」であるべきでしょう!

そんなの無理だ!時間的にも、生物学的にも、そもそもたぶん脳科学的にも不可能だ!だいいち、「全言語」とはいったいいくつなのかさえ不明だというのに!

と、言われることは百も承知。でも、「真に人間世界というものを知り尽くしたいなら、地上のいかなる片隅の少数民族のココロまでもを理解したいなら、理想は全言語!」と豪語すべきでしょう。

それに、ひょっとしたら、

自分が生きているうちに、外国語学習の、ものすごく効率のいいシステムが開発されたり、遺伝子科学で寿命が爆発的に伸びたり、あるいはサイボーグ技術で脳にコンピュータを埋め込んだりで、「やろうと思えば全言語を頭に入れられる」日が、こないとも限らない。子供っぽい夢想とは百も承知ながら。

だとすると、やはり、諦めちゃいかん。人生の目標は、あくまで「全言語に触れる!」。

それに、よく言うでしょう、「最初から現実的な目標を置くのではなく、無茶な目標を掲げたほうが、結果としては高いところまでいける」云々。だとすれば、あくまで目標は全言語で、死ぬ間際に「さすがに全言語は無理だったが、◯ヶ国語までいけたなら、まあまあじゃったな」と回顧できれば、それでいいとも思う。

というわけで、

よし、今日も頑張って、外国語の勉強、開始!

※尚、空海先生関連の別の過去記事はこちら

もしAIが発達しきって人間の仕事が全部奪われたとしても空海先生に倣える生き方ができるなら悪くない話

本当に、この話題がしつこくて申し訳ございませんが、弘法大師こと空海先生が大好きです。仏教の偉人というよりも、語学の達人としての生き様に、深い畏敬の念を抱いております。

そういう次第で、今日も世界の様々な言語の勉強にいそしんでおりますが、

ふと、ニュースサイトのコラムで、「AIの進化は人類の未来にディストピアをもたらすのではないか」という文章を見つけました。主張としては、以下のようなものです。

・AIが発達すると、人間の仕事はほとんどすべて奪われる

・もっとも、その世界では、生活必需品はほとんど無料で、手に入ってしまう。よって、失業したからといって苦しいことは特にない。何をしても、何もしなくても、衣食住はおろかレジャーの選択肢にも困らない、究極のベーシックインカム状態となる

・開発途上国と先進国の差異も標準化されるので、格差もなくなる。戦争も犯罪もなくなる

・だがその世界は、恐ろしく退屈で、なんの発展も、喜びも、活力もない世界だろう。人間は家でゴロゴロして一生を過ごす他ない。これはもはや、一種のディストピアであろう

このような未来予想が、当たるかどうかは、別として。

もし、「当たった」と仮定してみましょう。その場合、僕が思ったのは、「家でゴロゴロしている以外に仕方がない世界が、そんなに悪いことだろうか」というところ。

それって、人類全員が、ひたすら自己自身と向き合うしかなくなるわけで、少なくとも仏教的な発想から言えば究極の理想社会ではないでしょうか。

もしそのような世界になったら、私はどうするか?

まず、密教の世界によくある、「生涯に百万回、このマントラを唱えるべし」系統の、「異常に時間のかかる修行」の類を、そのときこそ試してみるでしょう(いまでも、やってはみたいのですが、社会人生活が許してくれない、、、)

空海先生の真似をして、山にこもってひたすら古典を読み続けたり

瞑想やヨガを極限まできわめる、なんてのも、いい。精神修養系のことが、いくらでも、できる。それで、みんなが仙人のような生き方をすれば、ディストピアも怖くないはず。

まあ、そんなふうになったらなったで、人類はゆるやかに人口を減らして消滅するかもしれませんが、、、。

などというのは、あくまでも空想であって、本当の未来は誰にもわかりませんが、

「アグレッシブに生きる目標がない世界なんて退屈だろう」という考え方には、少し違和感があるし、

そうでなくとも、先がどうなるかわからない昨今なら、なおさら、自我とか主体とか我執とかいったものは、できるだけ軽くするのがよいと思っています。

となると、いつもの結論ですが、、、

とりあえず、外国語を、やりましょう!

自我も相対化できるし、脳は鍛えられるし、読める古典の質量も増える。よいことだらけです!

※尚、空海先生関連の別の過去記事はこちら

▼おすすめの空海先生の著作はこちら▼

空海先生の著作『三教指帰』はシェイクスピア級に「読んで面白く、そして深い」古典文学だと思う話

現代日本の出版事情というのは素晴らしいですね。
などとつくづく、思うのは、
角川ソフィア文庫で、1,000円以下というお手頃価格で、
空海先生の著作、『三教指帰』(さんごうしいき)の
現代語訳版、などという貴重すぎるものが買えてしまうのですから。

なにせ(態度として正しいのかはともかく)通勤電車の中で
空海先生の言葉に触れられるのですから。


一般には、こちらは空海先生の若き日(中国留学前の二十代の頃)の著作であり、いわゆる「弘法大師」となるよりもずっと前の、若書きの作品とされているわけですが。

現代語訳で読んでも、ハッキリ言って、圧倒されます。

何に圧倒されるかといえば、
その豊富すぎる語彙と
何重にも張り巡らされた「漢文からの引用」の妙に。

この本は、物語仕立てになっている論文であり、
筋としては、

・高名な儒学者が出てきて、品行の悪いある人物に、儒教の立場から説教をする

・その次に道学者が出てきて、「わしのほうがより高いレベルの話をするぞ」と、道教の立場から説教をする

・最後に、若い仏教僧(「讃岐の国から来た」等々のセリフから、空海本人がモデルと思われる)がその場に現れて、儒教や道教もまだまだ甘い、仏教こそがそれらをも包摂する、いちばん高いレベルにあるのだ、と説教する。これに、品行の悪い人物(三人がかりで説教された人)だけでなく、儒学者、道学者も「おそれいりました、我々も仏教を勉強します!」と感嘆する

というもの。これだけ読むと、自画自賛の書のように思われるかもしれませんが、

儒学者のセリフも、道学者のセリフも、強烈なほどのリアリティがあります。つまり、「キャラが立っている」。儒学の専門用語や道教の専門用語もバリバリ出てくる。空海先生が、仏教だけでなく、論敵であるはずの儒学や道教についてもかなり深く研究し尽くしていたことがわかるのです。二十代前代の著作で、です!!

そして、細部が、やけに、面白い!

酒宴の様子や、もてなされたごちそうの様子。三人が話をしている場所の描写などが、とても細かい。儒学者、道学者、仏僧の三人が、活発に議論をしている情景が、いきいきと目の前に感じられるような、対話篇になっているのです。物語としても、読んでいて、面白い。

トドメが、膨大な引用。登場人物たちが、「漢の時代の〇〇が言っていたように」とか、「孔子の弟子の〇〇はこういう生活をしていたと伝えられますが、私もまた云々」とか、古典中国文学のさまざまな言葉やキャラクターが引用される。ここは、私も、自分の知識では歯が立たないので、ただただ豊富な引用の緻密さに圧倒されるばかり。

本書の序文で、空海先生本人が、「若いころは、いわゆる『窓の雪明かりや蛍の光で苦学』というレベルさえも超えた勉強時間で猛勉強していた」と言っていることが、テキストの重厚さで証明されております。

何よりも、本書を読んでいると、やる気が出てくる!

説かれている仏教の論理は、まだ私も若いため、完全に理解はできていませんが、「苦学勉強をしなければ」という意気込みになってくる。そういう本です。

このブログで何度も述べている通り、空海先生を、「外国語勉強の大先輩」として畏敬する私、とうぜん、この本を読んで得たモチベーションを、外国語の習得にガンとぶつけていくわけです。

これはもう、「日本におけるシェイクスピア」級の扱いをして、公立学校の国語で採用してくれないものでしょうか?

それくらい、若い人や、次の世代の人にも読んでほしい、大切な一著なのでした。

空海先生とチョーサーとシェイクスピアがつながった話、少しだけブレグジットの話

みすず書房から出ている、外山滋比古著作集の第7巻、『シェイクスピア考』を読んでいて、嬉しい発見がありました。

このブログでも何度も記載している通り、弘法大師こと空海先生が大好きな私、

それも、仏教史の偉い人というよりも、「外国語の天才」として畏敬し、できる限りその外国語能力の真似をしたいと常に思っている私。

そんな私は、いっぽうで、シェイクスピアのような古典英文学も好き。

ところが、この、空海とシェイクスピア、という、一見するとまるで混ざらない対象について、一緒に語られている本があった!、、、といっても、「シェイクスピアについての本の中に、一回だけ、空海についての言及があった」というだけのことですが。

でも、これまた英語学習の先輩として畏敬している巨人、外山滋比古先生の「シェイクスピア考」の中に、ふと、空海を評価する一文があったのです。空海ファンの私としてはそれだけで舞い上がるほど喜んだ。

文脈としては、こうです。

・それまでは、ヨーロッパ大陸の文化(特にイタリア風)を模倣していたイギリス文化が、チョーサーの頃から、「イギリス独自のもの」を追求する気風に変わった。

・この「島国ならではの個性」の追求は、特に言語において顕著であり、チョーサーらの時代の文人は「英語ならではのスタイル」の確立に努力した。

・こうして、イギリスのルネサンスは「大陸と違うこと」を目指すこととなった。この、「大陸から自由になってはじめてイギリスらしいものになる」という考え方はその後のイギリス史でも繰り返されるフォーマットとなった。

・日本も島国なので似た背景を持つ。ここに初めて自覚的になったのはおそらく空海で、彼の書道のスタイルは、中国から学んだものでありながら、日本人の感覚に溶け込みやすいものを目指している」

ありゃ、こうやって書くと、文脈的には「空海とシェイクスピア」が並んで論じられているのではなく、どちらかといえば「空海とチョーサー」ですが。でも、英語史の話の中に空海先生が出てきたのは私には嬉しい。

それに、この論考は、とても興味深いです。

いわゆるブレグジットとの関連で、です。外山滋比古先生がこのエッセイを書いているとき(1980年代)は、ブレグジットなどは予測不能な事柄だったはずですが、「ヨーロッパ大陸から自由であることがアイデンティティ」という発想がイギリスの根幹にあるという指摘、最近のブレグジット報道の背景に据えると、なんだか、とても、見通しが効いてくる気がするのでした。

バーバパパの原本(フランス語)をスペイン語の知識でなんとか子供に読み聞かせられた話

以前、「ロマンス諸語(スペイン語・ポルトガル語・フランス語・イタリア語云々)の勉強は、ある程度、まとめてできるかもしれない」という話を載せましたが、その証左になるのかもしれない話。

子供と一緒に図書館に行ったところ、外国語絵本のコーナーで、子供がバーバパパのオリジナル版(フランス語)に興味を持ちました。

私はスペイン語をやり込んではいますが、フランス語はあんまりやっていない。でもまあ、試してみようと、借りてきて家で読んだところ。

自分でも驚きました、スペイン語からの類推で、単語や文型はほぼ全部わかった!

日本人が、中国語を見たとき、中国語そのものを知らなくても書いてあることの意味はだいたいわかる、という現象とよく似ているのかもしれません。バーバパパ絵本くらいのフランス語のテキストなら、ほぼ、迷うことなく、なんとかなる!スペイン語一発で勉強してきても、このように、フランス語への転用も効くようになるので、

やはり、ロマンス諸語のうちのひとつはやっておくと、いろいろ便利だ、という結論に相成りました。

ただし、スペイン語をやったところで、どうにもならない問題がひとつ。フランス語の、「読み方・発音」、こればかりは、ちゃんとトレーニングしないと、どうにもならない。

というわけで、発音だけは、フランス語のネイティブが同じ本を朗読しているユーチューブ動画を見つけて、

これを完コピして、なんとかしました。

というわけで、子供に対しても、フランス語絵本の読み聞かせ、という珍しい体験をさせてやることができました。特に、二人の子のうち、まだ一歳の次女のほうが、フランス語朗読についてバカウケ。赤ちゃんの耳に、イントネーションが音楽的に聴こえて、面白いのかもしれません。

外国語学習の傾向をビジネスデータで見る話

外国語学習に命を賭ける、、、をテーマに展開しているこちらのブログですが、少し趣向を変えまして、今夜は学習方法ではなく、外国語学習をめぐる昨今のビジネス動向について調べてきた、その報告を差し上げたいと思います。

出典はこちら、矢野研究所の「語学ビジネス市場に関する調査」です。

個人的な予測としては、インバウンド観光の盛り上がりやら、企業のグローバル化の進捗によって、ここ数年で語学学習をめぐるビジネスは成長産業、と勝手に思っていたのですが、果たして実際はどうか?

上掲のサイトのデータを打ち込んで、2013年から2017年までの市場規模の推移をグラフにしてみました。なお、パーセンテージは昨年比の「のび率」です。

ざっと読み取れることとしては、

・このカテゴリー分けでは、「翻訳通訳」が最大の市場で、かつ、ここは毎年、伸び盛り。機械翻訳とか翻訳ソフトとかが出ていますが、順調にニーズも膨張しているので、翻訳や通訳のできる人材はまだまだ必要とされていそう。

・次に巨大な市場が、成人向けのスクール。それは予想していたことなのですが、年々、「グループレッスン」のスクールが微減して、「マンツーマン」のスクールが微増しているのは、何かの変わり目を暗示しているのかも。とはいえ昔ながらのグループレッスンスクールはまだまだ強い。

幼児向けや子供向け、留学斡旋といったジャンルは、順調に伸び盛り。起業のチャンスなどもまだまだあり得る領域かも

・電子辞書や、外国語学習ソフトは、どうやら斜陽産業。ネット上での辞書サイトや学習サイトに、良質のものが増えたためでしょう。その証拠に、e-learningの領域は順調に年々拡大しています。これも伸び率としては順調なので、ベンチャーの参入などもまだまだあり得るかも。

・個人的に、意外で、しかし嬉しかったのは、書籍教材の市場規模が停滞していること。てっきり、書籍という世界はのきなみ斜陽なのかと思っていたところ、少なくとも外国語学習教材の世界では、「書籍出版」されたものへのニーズが安定しているようでした。これは「おすすめ外国語学習教材」なるページを本ブログで展開している私にはうれしい結果でした。私自身、なんだかんだ、書籍の教材をコレクションするのが大好きなので。

思い付きでやってみたデータ収集ですが、いろいろ発見があり、面白かった。

また、ネットで、語学学習についての面白いデータを見つけた際には、出典明記の上、このブログでも紹介することにします。

密教の三密修行(身口意)の考え方を外国語習得に応用してみる話

しつこいようですが、弘法大師こと、空海先生のことが、とても好きです。

このブログでも繰り返している通り、空海先生の生き様や、遺している文献の考え方を、できるだけ、私自身の外国語修行に応用したい、と考えております。そして、実際、私自身には、そうやって空海先生の「真似」で得たメソッドが、かなり、効く!

今回は、空海先生の展開した真言宗の重要な考え方、「三密修行」を、外国語習得に応用する話をしてみたいと思います。三密、というのは、「身口意」の三つのこと。「体」と、「コトバ」と、「心」のこと、と解釈いただければと思います。

真言宗では、この「身口意(体・コトバ・心)」の三つをバランスよく修行していくことを重視します(だから、手で印を結び(体の修行)、口でマントラを唱え(コトバ)、仏の世界を瞑想する(心)という、身口意それぞれの修行を同時にやるスタイルをとるわけです)。でも、「体で使ってみる」「コトバに出す」「心でもイメージする」の三つを同時にやるべきって、なんだか、外国語修行にそのまま転用できそうな考え方ではないでしょうか?

※この「身口意」とか「三密修行」とかの現代的解釈は、私の独創ではなく、以下の文献を参考にしました。いわゆる自己啓発本ではありますが、真言宗の考え方について、めちゃくちゃわかりやすい本で、気に入っております↓!


外国語習得として考えるならば、

「仕事、インターネットでの交流、あるいは地元の国際交流イベント参加でもよいので、とにかく、勉強した外国語を実際に使う機会を生活の中に習慣として入れ込もう(体)」

「音読や会話練習で、とにかく、アウトプットしよう(コトバ)」

「頭の中でその言語で思考や空想ができるように、できれば夢に出てくるくらいに、イメージトレーニングで、無意識にまで学習中の言語を染み込ませよう(心)」

こんな感じですかね。私の場合、最後の「心」のところは特に工夫していて、いろいろやっていますが、一番いいのは、「勉強中の外国語が使われている映画やドラマや漫画で、気に入ったもののセリフを暗記して、イメージの中で、登場人物になりきる」というやつです。うまくいくと、めちゃくちゃ、効きます。目を閉じ、体をリラックスさせた状態でこれをやるので、傍目からは「いま流行のマインドフルネスをやっているのかな?」と見えるのですが、頭の中は、外国語がぺちゃくちゃうるさく飛び交っている、という。マインドフルネスとしては、たぶん、間違っていることをやっていますが、、、。

でも、これが、効きます!

もう一つ大事なのが、上述の書籍、「身口意の法則」では、「身口意の修行をすることで、体・コトバ・心の悪い習慣を矯正していくことが大切」とされているのですが、ここでも、外国語習得は「効く」ということ。

体・コトバ・心をフルに使って外国語習得をしていると、深酒のような体の悪習も、悪口を仲間内で吐いているようなコトバの悪習も、上司や会社への恨みつらみの空想で悶々とするような心の悪習も、「そんなことをやっている暇がなくなる」。

と、いいことづくめのように書いてしまいましたが、少なくとも、私には効いているメソッドです。と、いう、ご紹介でした。

子供へのクリスマスプレゼントは手作りスペイン語絵本にしてみました

「自分の心身を追い詰めるほどにまで外国語をやろう!」をテーマに掲げるこのブログ。

クリスマスだからといって、外国語勉強を休みはしません。

二歳になる娘へのクリスマスプレゼントにすら、容赦なく、外国語ネタを差し込んでみました。

というのも、

最近の私の娘は、すっかり、ティム・バートンの『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』にのめりこんでいるのですが

そんな娘へのプレゼントにと、私、深夜までがんばって、なんと、『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の自作絵本を作ってあげたのです。

ただし、スペイン語で!!


娘の喜びようといったら!

「お父さんがジャックを描いてくれた!」と大はしゃぎ。うむ、これはよいことをした。

「お父さん、この絵本読んで」と言われるたびに、スペイン語で朗読をしてあげなければいけないことになった、私自身の外国語練習にも、これは実に、よい。何遍も何遍も、スペイン語を読み上げさせられることも、子供が喜ぶならば、苦ではない。

それにしても、素人づくりながら、[ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の雰囲気はちゃんとでていて、まあまあな出来ではないでしょうか?

こんな感じ!

RとLの発音に困った時に効くおまじない、「札幌とろろラーメン」

魔法のおまじない、「札幌とろろラーメン」。特に、それを、会社の帰り道(一人で歩いている時!)などに、「札幌とろろラーメン、札幌とろろラーメン・・・」と繰り返す練習。

これは本来、スペイン語学習のための「コワザ」なのですが、僕の経験上、英語の練習としても、かなり、効きます。その経験があるので、ぜひ、ここで、紹介させていただきたい。

なんの話かというと、日本人にとって苦手な、「R」と「L」の発音の差別化の練習です。実は、これを英語の練習としてやるのは、ちょっと難しい。というのも、アメリカ英語やイギリス英語、はてはスコットランド英語など、それぞれの国や地域の「英語」で、「R」と「L」の発音体系は異なるので、「どの国の「R」と「L」の発音が日本人の練習によい」というのは、なかなか、いちがいに、言えないのです。

ですが、スペイン語の場合は、「巻き舌のR]という、また別の発音の問題があるので、ちょっと傾向が変わります。

スペイン語の「R]は(単語の中の出現位置にもよるのですが)、ものすごく強調した巻き舌で発音するのです。これは、そもそも、日本人にとって、練習を繰り返さないと、できない。

その練習の為の秘策として伝わるのが、冒頭の、「札幌とろろラーメン」。

まずはこの言葉を、早口言葉のように、繰り返し発声してみましょう。すると、「とろろ」のところの「ろろ」のところが、スペイン語の「rr」音になります。巻き舌の先が、「ロロッ」と、口内の上口蓋のほうをたたくような動きになる。これがスペイン語のrr音の練習になるのですが、スペイン語の(単語頭の)「r」の音も、基本的には、同じ練習でいける。

つまり、迷った時は、こっそり無声で「札幌とろろラーメン」の発生の時の口の動きをやってみて、「とろろ」のところで、r音を出すわけですね。「ロベルト」さんを呼びたいときは、

「((※無声で)札幌とろ・・・)ロベールト!」です。

このおまじないのいいところは、「ラーメン」という言葉も入っているところ。『札幌とろろ、と前につかない、普通の「ラーメン」の「ラ」の音がLの音』と覚えておけば、rとlの違いにより気をつけられるおまじないになる。

これは、スペイン語の練習ですが、英語の練習にもいいことが。スペイン語ではこのように、rとlの音が明確に違うので、自然、そうほうの音の違いに自然に気をつけるようになる。その状態のまま英語の勉強をやりなおすと、rとlの使い分けにとても注意しながら話すクセがついたまま、英語を喋れるようになるわけです。

ただし、この練習をやると、なんだか「スペイン語訛りっぽい」英語には、なってしまうかもしれません、、、。