「明治日本とは漫画(カートゥーン)である!?」日清戦争前後の情勢を語る司馬遼太郎氏の筆は、どう英訳されたか?

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、前回に引き続き、「日清戦争」の章を追っていきましょう。日本語版では、文春文庫の第二巻にあたります。

この章では、作者の筆は、物語の主人公たちの視点をいったん離れ、より大きな「歴史」からの視点で日清戦争前後の情勢を語ります。ドラマよりも、評論的な文章が多くなる箇所です。

ここで、司馬遼太郎氏は、いささか意外な表現で、明治という時代を説明しています。

該当の箇所について、日本語版・英訳版の双方を、並べてみましょう。

「明治日本」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。

Meiji Japan should perhaps be understood as a cartoon.

ちょっと意外な表現すね。これに出会うと、「え?!」と意外に思い、
続きの文章を読んでみたくなるのではないでしょうか?

これだから、司馬遼太郎作品は面白い!

単純に「明治はよかった、それにくらべて今の日本は」という書き方をする(凡百の)歴史小説作家たちと、ここらで違いが出ます。『坂の上の雲』は、日新日露戦争を背景にしている小説で、おおむね明治日本に肯定的なのですが、なんでもかんでも「よかった」としているわけではなく、こういうあたりでちゃんと、バランスをとっていることに、気づかされます。

そもそも、「読ませる文章」として、読者の引き込み方が、とても巧い!

それにしても、どうして「漫画」なのでしょうか?

司馬遼太郎は、こう、続けています。

すくなくとも、列強はそうみた。ほんの二十余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本のすねで歩き、世界じゅうどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、いまはまがりなりにも、西洋式の国会をもち、法律をもち、ドイツ式の陸軍とイギリス式の海軍をもっている。

もちろん、日本人の視点からすると、それは明治時代に成し遂げられた「奇跡」と評価したくなるわけですが、

ふと、同時代の西欧の側からみると、滑稽味がある。

そのところを読者に認識させたうえで、以下のような、重要な指摘をしています。ここは英訳と並べて、引用しましょう。

日本のそれ(帝国主義)は開業早々だけにひどくなまで、ぎこちなく、欲望がむきだしで、結果として醜悪な面がある。

Japanese imperialism, just getting underway, was unrefined, awkward, and nakedly grasping, and in that sense hideous.

滑稽なだけでなく、醜悪(hideous)な面もあったそうです。

もちろん、このあたりについては、人によっていろいろ、意見が出るところでしょう。ともあれこのような、議論を喚起する、「扱うに難しい」テーマにもちゃんと言及しているあたりに、司馬遼太郎が「単純な講談調の大衆作家」ではくくり切れない魅力があることは確かです。

それにしても「漫画」とは、おもいきった表現ですね。

先に引用したとおり、英訳は、ここにcartoonという語をあてています。カートゥーンとは、これもまた、おもいきった訳にしたものですね。この”cartoon”、現代では、どうしても、バックスバニーやらミッキーマウスやらのアニメのことを連想してしまいますが、もともとは近世ヨーロッパの風刺画などにルーツを持つ、なかなか歴史の深い言葉だそうです。

【キーワード】
cartoon=漫画、アニメ。古くは風刺画

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「戦争がはじまろうとしている。いわゆる日清戦争である」は、どう英訳されたか?

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回からは物語前半のハイライト、日清戦争の部を取り上げていきましょう。日本語版では、文春文庫の第二巻に該当します。

英訳版を見る前に。日本語オリジナル版を振り返りましょう。

物語がいよいよ日清戦争の段に入っていく時。司馬遼太郎氏は、以下の文章で読者を導きます。

戦争がはじまろうとしている。
いわゆる日清戦争である。

名文、と言ってよいのではないでしょうか?それまで正岡子規や秋山真之の成長物語を追っていた読者が、この二行で、いきなり、キリリと、「ついに本当の戦争の話になるのだ」と引き締まるのです。物語も、ここから、伊藤博文や川上操六といった、指導者レベルの人々の動向も交えて描写されるようになり、スケールがいっきに、大きくなるのです。

この名文は、英語版ではどう表現されているか、見てみましょう。

War was in the air.
The war we know as the First Sino-Japanese War of 1894-1895 was just getting underway.

こちらはこちらで、見事な訳と、感心してしまいました。”War was in the air“には、痺れますね。いかにも英語らしい表現なのに、ちゃんと、原文の簡潔丹精さも継承している。

この”in the air”という表現を追ってみましょう。調べれば調べるほど、かなり多様なニュアンスを込めている表現と言えそうです。たとえば、こんな用例があります。

Dust in the air.

これは、ストレートな表現。空気中に漂う、埃のことです。これが、少し、比喩的な表現になってくると、

Something mysterious is in the air.

「何やら神秘的な雰囲気が漂っている」。こうなってくると、なんだか文学的で、うまく使いこなしたら格好いい表現ですね。

Feel the tension in the air.

「緊張が張り詰めているのを感じる」。これも、ぜひ、使いこなしたい表現です。

こうしてみると、”in the air”は、「何かが気配として漂っている」というニュアンスのように思えますが、ここからが言葉の面白いところで、まったく反対に、「現実的でない」という意味に使われることもあります。たとえば、

The plan is up in the air.

これは、「計画がまだ漠然としている(未定である)」という意味になり、

The plan is a castle in the air.

これは、「計画が現実的じゃない」というネガティブなニュアンス。それにしても、a castle in the air、「宙に浮いた城」というのは、日本語にある「絵に描いた餅」という表現となんとなく親近性が感じられて、とても、面白い。

【キーワード】
in the air

次回以降で、物語の主人公たちが、日清戦争という歴史のうねりにそれぞれの立場で巻き込まれていく姿を、さらに、追っていきましょう。

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トルコ=親日説の背景となったエルトゥルール号事件に『坂の上の雲』主人公達はどう関わっていたか

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、前回に引き続き、「軍艦」の章を今回も扱います。今回は、「トルコが親日国になったきっかけ」とされる、エルトゥルール号事件に、『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山真之がどう関わっていたか、を追うことにしましょう。

まずは、エルトゥルール号事件とは何か?

1890年、時の世界の大国のひとつ、オスマントルコ帝国から、おそらく初めての正式な親善使節として、軍艦エルトゥルール号が日本に派遣されます。明治天皇にオスマン皇帝からの親書も渡し、無事、訪日日程を終えた帰途、不幸なことに、エルトゥルール号は和歌山沖で遭難し、500人以上が犠牲となってしまいました。

ところが、この不幸な事件は、むしろ遭難の後の展開が有名になります。和歌山県の大島村の村民たちが、自発的に集まり、トルコ海兵たちの救助活動にあたり、結果として、70名近いトルコ人の命を救うことに成功するのです。この美談は、本や映画にもなり、今でも、「トルコは親日」説の背景となっています。

(※「説」と断っているのは、あまり他意はありません。ただこの「〇〇は親日国」という話にはデマや都市伝説が多い上に、旧来親日国とされている国でも世代によってはコロリと日本への見方を変えることがあるので、あんまり信じすぎないほうがいい、という意味を込めています。そもそも、「親日」と言われている国へ行ったから日本人が優遇されるとか、守ってもらえるとか、そういう単純な話は現実には滅多にわけですし。ただしトルコが「比較的、日本に好意的」なのは、私もトルコ観光の際に雰囲気としては感じたところです)。

この物語の背景を知りたい方は、いい映画になっているので、こちらなどが参考になるでしょう。

さて、この事件に、実は「坂の上の雲」の秋山真之も絡んでいます。

上記の救助劇によって守られたトルコ兵たちは、日本の軍艦、「金剛」と「比叡」によってトルコに送られることになるのですが、そのイスタンブールへの航海に、若き秋山真之も乗船していたのです。おそらく、彼にとっては初めての遠洋旅行となります。

後にトルコ海軍の宿敵であるロシア海軍を打ち破ることになる、秋山真之の初めての公式外国訪問の目的地がイスタンブールであったというのは、面白い縁の深さを感じます。もっとも、『坂の上の雲』の中でのこのくだりは、あっさりと簡潔に触れられているのみです。より詳細な話を知りたい方は、こちらの産経新聞の記事などが参考になります(秋山真之がイスタンブールから正岡子規に年賀状を出した話など、『坂の上の雲』では省略されたエピソードも出てきます)。

『坂の上の雲』の中では、トルコ海軍兵たちを送還する際の船上で、秋山真之たち若い士官たちとトルコ士官の間で交流が芽生え、秋山真之たちが「日本もアジアの大国としてがんばらねば」という(いかにも明治人らしい)意識に燃える、という情景が描写されています。

「アジアにあってはトルコは凋落したり。かわって日本が立つべきなり」
と、艦上を歩きつつ、それを詩句のようにしてとなえている士官がいる。

“In Asia, Turkey has fallen. Japan should rise to take its place.” An officer paced the deck of his ship, repeating these words as if they were a poetic refrain.

もっとも、こういう気分は現代の私たちには遠い感覚になってしまっていると思います。それが、いいか、悪いか、ではなく、単に時代の状況というものがまるで変ってしまったから、といえるでしょう。そういう意味では、『坂の上の雲』という小説を読んで、明治時代の青年たちが「日本の近代化のために」という目標に純真に集中している姿に共感をしたとしても、大事なことはそのあとに、「でも、自分の場合は、このように情熱を傾けられる対象はなんだろうか」と自問することなのかもしれません。

『坂の上の雲』作品内における、トルコ士官との交流のエピソードはとても短く終わってしまいますが、トルコ側のキャラクターのセリフとして、以下のような「ロシアとの比較」が登場するのは、物語後半の伏線、といえるでしょう。

(トルコ人士官との交流を通じて坂本大尉は)たとえば農夫の出身でも首相の位置にのぼることができるが、首相の職は世襲できない。この点、トルコの社会は日本とよく似ており、いわば無差別社会である、などということを知った。
「この点、われわれはロシア帝国よりはすぐれている。ロシアは貴族以外の階級の者は士官になれないが、トルコではたれでも一定の能力があれば士官になれる」

So, for example, a man of peasant birth could rise to be prime minister but could not that position on to his son. In this regard, Turkey was similar to Japan, where there was also no discrimination on the basis of class. All this and more Sakamoto learned from his conversations with the officers. As one of them put it,
“We’ve superior in this respect to the Russian empire, There no one but a real ability can become an officer.”

【キーワード】
In this regard, A is similar to B:「この点については、AはBと似ている」

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『軍艦』の章の秋山真之のセリフを座右にTOEICのスコアを直前で押し上げた話

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回から扱う「軍艦」と題された章では、海軍兵学校を卒業し、いよいよ日本海軍士官としてのキャリアを歩み始める秋山真之の姿を追っていきます。

まずは、卒業の背景から。優秀な成績で兵学校に入学した秋山真之ですが、そのまま秀才で通したようで、最終的には「首席卒業」となります。ただし、学内では、

「秋山真之は勉強をせずに首席になった」

と有名になっておりました。もっとも、こういう「勉強をしていない優等生」というものは、現代でも、たまに、いるものです。私の周りにも、いました。こういう人は、友達から大いに羨ましがられるものですよね。でも、私の経験上、そういう人は、実は友達の見ていないところで、猛烈に勉強をしていたりするものなのですが。そういう人は、勉強をしていないわけではなく、ものすごく、勉強の「効率」がいいのでしょう。

実際、秋山真之の「首席卒業」の秘訣については、下級生のこのような証言が取り上げられています。

真之は過去五年間の試験問題というものをコレクションしており、そこから、出題教官の癖や思考を読み取って、「どのような問題を出すか」を事前に予測してから試験に臨んでいた、と。

下級生としては、真之自身の入校以前の時代の試験問題まで、何らかの方法でコレクションしてしまっている真之のやり方に、いささか気味悪さも感じてしまい、

「しかしそれは卑怯ではありませんか」
というと、
「試験は戦いと同様のものであり、戦いには戦術が要る。戦術は道徳から解放されたものであり、卑怯もなにもない」

“But isn’t that unethical?”asked Takeuchi.
“Examinations are like battles. You need a strategy, ant that’s got both to do with morality. It’s not a question of it being ‘ethical’ or not.”

と真之にピシャリと答えられてしまいます。

【キーワード】
ethical:倫理的
unethical:非倫理的

ちなみに、ですが、若き日の私は、『坂の上の雲』のこのくだりを読んで、「試験は戦術である」という真之の言葉に大いに感化されてしまい、それ以降、どんな試験対策でも、真正面から試験対策本をコツコツとやるのではなく、「試験ではどんな問題が出るか」をリサーチして「予測」してから臨むようになりました。

がむしゃらなガリ勉であることを「むしろ恥」と思い、勉強にも「作戦立て」と「効率的なオペレーション」の概念をもちこんだわけですね。

少なくとも、僕がこの考え方を持つようになってから、TOEICのスコアに関しては、めきめき、上がるようになりました。TOEICという試験のシステム自体を研究した上で、対策勉強をするようになったので、効率が上がったのですね。「そんなのは本質的な英語の勉強ではない」ですって?そうかもしれません。しかし、少なくとも、TOEICなどというものはスコアを社会的ステータスに利用する以上の意味合いはないと思っていますので、そういうものと割り切って、効率よく高得点に到達する「作戦」を練ってしまうのが早道では、とも思うのでした。

秋山流の試験対策に共感できるにせよ、できないにせよ、いずれにしても秋山真之という人は若い頃からそういう才人であった、という点は、おさえておきましょう。

司馬遼太郎氏の総括は、以下の通り。

真之の性格と頭脳は創造力がありすぎ、規定のことをいちいちおぼえてゆくことに適していなかった。

Too much creativity in Saneyuki’s temperament and intellect made him ill-suited to learning set, standard things, one by one.

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英語版『坂の上の雲』の「ほととぎす」の章から、正岡子規発病のくだりを英文で読む

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回は、正岡子規が死病におかされていることが判明し、逆にそれをもっていわゆる文人「正岡子規」が誕生する、その場面を追っていきます。

明治二十二年、正岡子規は高等中学の寮を出て、本郷にある旧松山藩の学生寮、「常磐会寄宿舎」に移ってきています。この前年の夏に鎌倉の路上で吐血をして以来、どうも体調がすぐれなかった子規。喀血が続くため、ようやく医者に診せたところ、以下の宣告を受けることになってしまいます。

「肺がおかされている。肺結核だな」
子規はつとめて驚きをあらわさず、むしろ無表情に、ああそうですか、とうなずいた。それがこの時代のひとびとの表情の習慣であった。

“Your lungs are infected. You have tuberculosis.”
Shiki did his best not to show surprise. “Oh, really?” he said, nodding but not changing his facial expression. That was the custom of the people of the time.

つとめて動揺を見せない、という、この時代の人々の徳義を、do his best not to show surprise(驚きを見せないようベストを尽くした)としてしまうのは、翻訳でちょっとニュアンスが変わってしまっているところですが、このような微細なロスト・イン・トランスレーションはどうしても避けられないものですね。。。

子規はさすがに衝撃をうけた。しかしその自分の衝撃と悲痛さを他人のそれであるかのように客観視してながめる頸さをこの男はもっていた。

Shiki himself was shocked. Even so, he had the strength of character to be able to look objectively at his own shock and pain as if they were someone else’s.

喀血二日目に、子規は、帰郷する同郷人にあてて、以下のような凄絶な和歌を詠みます。

ほととぎす ともに聞かんと 契りけり
血に啼くわかれ せんと知らなば

We vowed to hear
the song of the little cuckoo together
not knowing that our parting
would be sung
in blood

「ほととぎす」。 杜鵑、時鳥、不如帰、子規、などとかく。和名では「あやなしどり」などと言い、血に啼くような声に特徴があり、子規は血を喀いてしまった自分にこの鳥をかけたのである。子規の号は、このときにできた。

明治を代表する文人の一人、正岡子規、誕生の段となります。それにしても、上記のような漢語だらけの文章を、英語版ではどのように英訳してみせたのかというと、ここは、以下のように、あきらめて説明調で通しておりました。

There are various terms for the cuckoo in both Chinese and Japanese, among them the Japanese word hototogisu. It is known for its intense-sounding cry, “bleeding as it sings,” as the idiom goes. Shiki, who was then coughing up blood, used this as a metaphor for himself, and, in fact, “Shiki”, the literary sobriquet we have been using all along, is another way to read the character for hototogisu. His use of this name actually dates from this time.

このあたりの、文学的な話題が多い章では、英訳者の苦心惨憺ぶりがうかがえる「必死の英訳」がたくさん見られます。この「ほととぎす」の章は特に難渋したものと推測されます。

最後に、キーワードをまとめておきましょう。

【キーワード】
lung(s) : 肺
tuberculosis(テュバキュロシス) :肺結核
little cuckoo :ほととぎす

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秋山好古と山県有朋の会話場面から明治軍人の「意見具申」の在り方を英語で学ぶ

ついに英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回は、フランス留学時代の秋山好古が、ヨーロッパ視察中の山形有朋と会い、若輩ながらも勇気をもって意見具申をする場面をとりあげます。

まだ陸軍の大御所である山県に名前も覚えられていない段階の秋山好古が、「日本陸軍はドイツ式の乗馬術を採用しようとしているが、それはやめて、フランス式を採用すべきである」という意見を具申することで、目にかけられるきっかけを作る場面となります。若い世代の中から優れた人材を見つけ、その人材にある分野の研究を一任してしまう、というのが、司馬遼太郎の紹介する「明治国家の組織のやり方」なわけですから、この邂逅で「騎兵の研究は、秋山好古がやっている」という認識が山形有朋の中に刷り込まれるのは、とても大事な場面、といえるわけですが。

山形有朋と秋山好古の最初のやり取りは、以下のように描写されます。

「君は、たれかね」
好古は、不動の姿勢をとった。
「陸軍騎兵大尉秋山好古であります」
ありますという軍隊用の敬語は、ふつうの日本語にはないが、長州弁にだけはそれがあって、山県が正式の軍隊語としてそれを採用したと好古はきいている。

「〇〇であります」という軍隊語のルーツが長州弁、というのも率直な驚きですが、この日本語、さぞかし、英訳しにくいところだったでしょう。英訳版では、どうしたかというと、

“And who are you?”
Yoshifuru stood at attention. “Army Cavalry Captain Akiyama Yoshifuru, sir!” He employed a humble verb form not found in standard Japanese but used in the Choshu dialect. It had been introduced as standard army usage by Yamagata himself, Yoshifuru remembered hearing.

さすがに、「〇〇であります」という言葉遣い云々の詳細を説明する余裕はなかったようで、上記のとおり、あっさりと訳されてしまいました。

この後、秋山好古が、山県有朋の随行将校に許可をとった上で、意見を述べるところが、以下。

好古は、この社会でいう不動の姿勢をとった。騎兵ズボンの腰がはちきれるほどに肉がつきはじめている。
「申しあげたい結論は、馬術という一点においてはドイツ式が欧州馬術会の定評になるほどに欠陥があり、フランス乗馬術がきわめて優越性に富んでいる、ということであります」
といった。こういう、結論から意見を出発させてゆくという方式も、メッケルが日本陸軍におしえたところであった。

Yoshifuru stood at attention. His thighs were so well fleshed that his cavalry trousers seemed about to split at the seams. “What I want to say, sir, is that, with regard to horsemanship, the German style is known throughout Europe for being flawed, while the French style is much superior in quality. That is all, sir.” This method of starting from the conclusion was one that Meckel had taught the Japanese military.

日本陸軍の近代化に絶大な影響を与えたドイツ軍人メッケルの教育が、上官に対する報告のコトバ使いにまで好影響を与えていた、とするくだりです。結論を先に、てきぱきと述べる。この癖は、明治軍人のメソッドというのみならず、現代のビジネス世界でも見習いたい癖ですね。

ちなみに、繰り返されるStand at attentionは、「直立不動の姿勢」、すなわち、号令でいう「気をつけ!」のことです。あわせて、覚えてしまいましょう。

【キーワード】
stand at attention=「気をつけ(の姿勢で立つ)」

と、格好よくアピールできたはずの、秋山好古。この直後に、山形有朋にフランス軍の高官たちへのお土産を渡すお使いを頼まれたところ、汽車の中で泥酔してしまい大失敗をしてしまいます。もっとも、それを受けた山県も、「この後はその手の雑務は任さないようにした」くらいのペナルティで収めてくれたようで。

この「山県有朋のお使いで大失敗をした」という話は、秋山好古の伝記でも語られているエピソードなので、どうやら司馬遼太郎氏の創作ではなく、若いころに本当にあった事件のようです。好古の豪快豪放さも凄いが、なんとなく、それを許容している明治陸軍組織の雰囲気というのも、凄い。

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フランス留学時代の秋山好古の目を通して「世界史上の四人の天才騎兵使い」のことを英語で学ぶ

ついに英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、今回は、軍事史好きや世界史好きにはたまらないくだりに入っていきます。

前回紹介した通り、実り豊かなフランス留学生活を送る、秋山好古。そんな中、彼は面白い出会いに恵まれます。フランス陸軍きっての博学な老教官と出会い、この人から徹底的に、ヨーロッパにおける「騎兵」の歴史を物語として教え込まれるのです。

この、フランス人老教官と、若き日の秋山好古の対話が、めちゃくちゃ、面白い!

そもそも、何を隠そう、この私自身と『坂の上の雲』との長い付き合いの始まり自体が、この場面をきっかけにしているのです

このブログでも何度か述べてきた通り、私が『坂の上の雲』のファンになったのは、十代の高校生の時でした。人に勧められるままに第一巻を読んでいて、このくだりに差し掛かった頃から、「三国志」やら「信長の野望」やらのおかげでもともと歴史好きであった十代の私の心は燃え始め、そして、すっかり、『坂の上の雲』にハマってしまったのです。

このフランス人老教官が、世界史上には「四人の天才的な軍事指揮官がいた」と述べ、騎兵というものを本当に効果的に使えたのは、その四人だけだった、と説明するあたりから、十代の男子高校生の心が燃える話ばかりになります(以下、女子にはついてきにくい話になります、あしからず、、、)。

かれはその四人の名前をあげた
モンゴルのジンギス汗
プロシャのフレデリック大王
フランスのナポレオン一世
プロシャの参謀総長モルトケ

In his list he named the Mongol Genghis Khan, Frederic the Great of Prussia, Napoleon I of France, and Moltke, chief of the General Staff of Prussia.

世界史が好きな一人の男子高校生が、この部分を読んで、「この四人をよくぞ選んでくれた!」と膝を打って喜び、そのまま文庫で全八巻の大河小説を読み切って、読書好きになってしまったのです。それくらいのインパクトがある「グッドチョイス」だと思うのですが、、、いかがでしょう?!

ともかく、なぜこの四人が重要なのか、フランス老教官の話をもっと追っていきましょう。

老教官にいわせると、天才的戦略家のみが騎兵を運用できるのだ、騎兵の不幸はそこにある、という。

In the professor’s view, only a strategist of genius could direct the cavalry, and that was the cavalry’s great misfortune.

「古来、騎兵はその特性どおりにつかわれた例はきわめてまれである。中世以後、四人の天才だけが、この特性を意のままにひきだした」

“Throughout history, the cavalry has only rarely been used in a way that takes advantage of its unique capacities. Since the Middle Ages, there have been only four commanders of genius who have been able to do that.

老教官にいわせると、騎兵は歩兵や砲兵とはちがい、純粋の奇襲兵種であり、よほど戦理を心得、よほど戦機を洞察し、しかもよほどの勇気をもった者でなければ、これはつかえない。

The professor’s view was that, unlike the infantry and artillery, the cavalry was a purely offensive force and could be effectively used only be someone who fully understood the principles of warfare, could discern the time to strike, and had the courage to do so.

中央アジアの大草原で、あるいはヨーロッパの大地で、大騎兵集団を動かしているこうした「世界史上のビッグネーム」のことを思うと、ロマンに胸が熱くなるのは十代の頃の私だけではないはず。「十代の頃の」「十代の頃の」としつこく書いている通り、大人になっちまった今の私はそんな昔の青臭い感慨には二度と浸れない、という悲しさもあるのですが(IT企業のサラリーマンだし、、)、初めてこの本を読んだ時の感情を懐かしさを込めて思い出しながら、今回の記事を書いた次第です。

【キーワード】
チンギス・ハン: Genghis Khan
フリードリヒ大王:Frederick the Great
ナポレオン:Napoleon
モルトケ :Moltke

もっとも、いまさら気づいたのですが、この四人のチョイス、よくよく見るとモルトケだけ、通好みで、なんだかちょっとシブいチョイスだな。。。

なにはともあれ、フランス陸軍の古参教官から、こんな楽しい歴史講釈を聞けた、秋山好古。しかし、さすがは明治軍人、ここで「ヨーロッパはすごいですね!」と引き下がるのではない。「先生はフランス人だから、アジアのことはご存知ない。騎兵運用の天才なら、たとえば日本にも二人います。それを加えて、世界の六大天才と言わねばならない」と、格好のいいことを言ってくれます。そこで好古がフランス教官に紹介するのが、源義経(鵯越の戦い)と織田信長(桶狭間の戦い)で、これを聞いたフランス人教官がやけに感心して、「そうか。今後からは、世界の六大天才ということにしよう!」と言ってくれるのが、これは小説上の演出とわかっていながらも、とても嬉しく感じてしまう、楽しいシーンなのでした

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英語版『坂の上の雲』から、「日本騎兵の父」秋山好古のフランス留学の日々を読む

前回紹介した通り、日本陸軍がドイツ陸軍を模範としていく方針の中で、秋山好古についてはドイツ留学ではなく、フランスへの留学が決まってしまいます。

もっとも、結論としては、このフランス留学は好古にとってとても実りが大きいものとなります。のちに好古は、少なくとも馬術に関してはフランス流こそが日本が学ぶべきものだと考え、その旨を陸軍内で提案していくほどになっていきます。

今回からは、その好古のフランス留学生活を、また日本語版・英語版比較をしながら、見ていきましょう!

まず金銭面についてですが、これは、かなりの苦労を強いられた様子です。小説での描写は以下のようになっています。

途中、「秋山がパリで窮迫しているらしい」というつわさが本国にきこえた。同時にこの留学で好古の騎兵研究が飛躍的にすすんでいるといううわさもきこえ、「日本の騎兵は、秋山大尉の帰国によってはじめて騎兵らしくなるだろう」という期待ももたれていた。

Midway thorough his stay, the rumor that he was living in straitened circumstances in Paris reached Japan, along with the rumor that his cavalry studies were progressing by leaps and bounds. “Japan’s cavalry will become a cavalry in more than name only after Captain Akiyama’s return” — this was the expectation.

日本本国からの期待の高さに比べると、金銭面で窮迫、というのは、一聴すると、アンバランスな話に思えます。ですが、これは自分で馬を飼っておかねばならない騎兵将校という役柄上の辛さと、好古本人のお酒の付き合いの多さのせいもあってのことのようなので、一概に留学費の支給が少なかった云々というわけでもないようですが。

なお、戦史に詳しい方は、こういう歴史小説でMidwayという単語が出てくると、どうしても「あの」ミッドウェイのことを思い出してしまうのではないでしょうか。太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェイ諸島ですね。ミッドウェイの戦い自体も深堀りすれば実にいろいろな教訓が出てくる題材なのですが、「坂の上の雲」を扱うこの記事では、そちらには脱線しないようにして。日本の戦史好きにはとても覚えやすい英単語、Midwayの本当の用法のほうを、せっかくだから覚えておきましょう。

【キーワード】
Midway:「途中で、中間で」
”Midway through the race”=「レースの途中で」
“The midway point of the project”=「プロジェクトの中間点」

それにしても、金銭的に窮迫していたとはいえ、生来のお酒好きの好古にとって、「現地のフランス軍人たちとのお酒の付き合いが多かった」というのは、なんだかとても楽しそうな!

さて、その好古がフランスで研究していたのは、別の回でも説明した「重騎兵」「軽騎兵」「竜騎兵」という兵科のうちの、特に「軽騎兵」の運用に関して、でした。

ヨーロッパの騎兵にはいろいろの種別があるが、日本陸軍はその実情(経済的理由がおもだが)からして軽騎兵のみが採用されていた。

There were various types of cavalry in Europe, but the Japanese Army made use only of the light cavalry for practical reasons, economics most important among them.

日本はこの軽騎兵しか採用する能力がなかったが、しかしそれだけに課題は複雑で、この軽騎兵に他の重騎兵や竜騎兵の機能や戦闘目的をつけ加えようとするものであった。この計画はヨーロッパからみれば、およそ乱暴な発想であったかもしれなかったが、この種の無理やつぎはぎをやっていく以外に日本人がヨーロッパ風の近代軍隊の世界に参加してゆくことはできない。

Japan had only the ability to employ the light cavalry, but that made matters all the more complex since they tried to assign the functions, battle aims, and other duties of the heavy cavalry and the dragoons to the light cavalry. This plan may seemed like a wild idea to Europeans, but there was no way that the Japanese could participate in the world of the modern European military without patching things together like this.

ヨーロッパの騎兵というのは伝統も長い上に、種類や組織体系も洗練されているが、日本は急いで、小規模ながらもすべての騎兵の役割をこなせる効率的な騎兵組織を整備しなければならない。これが秋山好古が取り組む課題となります。

要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけでなく、帰国したのちは好古自身がその建設をしなければならない。

In other words, the Japanese Army was entrusting to this young captain of barely thirty all the research necessary for building its cavalry.

この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯の日本のおもしろさはこのあたりにあるであろう。

Matters relating to the cavalry were handled this way, and all other aspects of Japanese life got the same treatment as well. It was this above all that must have made life in the “little household” of early to mid-Meiji Japan so interesting.

さぞかし大変な留学生活だったと思いますが、たった一人で「日本におけるその分野のパイオニア」と見なされ全面的にバックアップされるのは、やはり、男性目線からすると、うらやましい働き方。

この時代には、他の様々な分野でも、「この分野はオレ一人がヨーロッパから日本に導入するために研究しているんだ」と自負し、かつ周囲からそう期待されていた若者が、たくさん、いたのでしょう!

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英語版『坂の上の雲』から、明治陸軍とフランス・ドイツとの関係を覗き見る

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。今回は、前回取り上げた「海軍兵学校(The Naval Academy)」の章の後半部分、秋山兄弟の兄、好古の、陸軍での成長を見ていきます。

前回も記した通り、明治日本は、海軍はイギリスに、陸軍はドイツを模範としました。ですが陸軍に関しては、その方針は最初から決まっていたわけではなく、

日本陸軍は、旧幕府がフランス式であったことをひきついだ。明治三年十月、政府は、「海軍は英式、陸軍は仏式による」と、正式に布告した。

The Japanese army had continued the tradition established by the shogunate and modeled itself on the French Army. In October 1870, the government officially decreed, “The navy is to be modeled on Britain’s example, the arm on France’s.”

という次第で、秋山好古を含めた初期の陸軍士官学校の卒業生達は、むしろフランス語を徹底的に叩き込まれておりました。

この方針が大転換するきっかけとなったのが、普仏戦争でフランスがドイツ陸軍に完敗する、という大ニュースでした。以降、日本陸軍は、よくも悪くも、ドイツ陸軍を模範として成長していくことになります。

さらにこの普仏戦争の勝利は、参謀総長モルトケが独創して体系化したその戦略戦術の勝利であるといっていい。モルトケ戦術のあたらしさは、主力殲滅主義にあるであろう。戦場における枝葉の現象に目もくれず、敵の主力がどこにいるかをすばやく知り、味方の最大の力をそこに集結させて一挙に攻撃し殲滅するというものであった。日露戦争における奉天大会戦で日本陸軍がとった方法はこのモルトケの思想であるといていい

The Prussian victory was also a victory for the strategy and tactics devised and systematized by Moltke, the chief of the General Staff. What was new in Moltke’s strategy was its emphasis on annihilation of the enemy’s main forces. He was uninterested in nonessential battlefield details. He tried immediately to determine where the enemy’s main forces were, concentrated his side’s strongest forces precisely there, launched a fierce attack, and thus overwhelmed the enemy. The methods adopted by the Japanese Army in the great battle of Mukden in the Russo-Japanese War were based on these ideas of Moltke.

こういうものを読むと、いかに、普仏戦争におけるドイツ(当時はまだ「プロイセン」)の完勝というものが世界史に巨大なインパクトを残したかがわかります。日本でもファンが多い(と個人的には思う)ドイツ陸軍の名参謀総長、モルトケの名前が出てきましたが、ここでついでに、十九世紀ドイツ陸軍関連の用語を整理しておきましょう。

【キーワード】
普仏戦争:Franco-Prussian War
参謀総長:the chief of the General Staff
殲滅・全滅・圧勝:annihilation(アナイアレイション)

日本陸軍がその制度を模範としたというドイツ参謀本部の歴史を詳しく知りたい方は、以下の渡部昇一氏の著作がオススメです。渡部昇一は英語学の名著を出している傍らで、こんな軍事オタクな入門書も出してくれているのです。

ドイツから教官を呼び寄せ、陸軍の若い秀才たちも続々とドイツに留学していく中、秋山好古は、ちょっとした運命のいたずらで、注目株のはずのドイツ陸軍ではなく、フランス陸軍に留学することになります。しかしそれはそれで、好古が五年間をかけてパリに留学したことが、少なくとも日本の「騎兵」の発展にとっては重要な布石になるのです。その、好古のフランスでの修行生活を、次回は見ていきましょう!

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英語版『坂の上の雲』の「海軍兵学校」の章から、明治初期の英語エリート教育の様子を見る

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。名セリフや名場面がどのように英語圏で訳されたかを見ていくこの企画ですが、今回は、「海軍兵学校(The Naval Academy)」の章を見ていきます。

前回取り上げた経緯から、大学へ入る道を捨てて、海軍に入ることにした、秋山真之。

もともと秀才であった真之は、なんなく入試を突破し、築地の新名所となっていた「海軍兵学校」へ入ることになります。

明治海軍が築地をもってその技術関連の根拠地にしたのは、すでに明治二年からであった。

The navy had made Tsukiji its base for technical training since 1869.

私たちのような英語学習者から見れば、注目すべきは、そこでの生活が、徹底した「英語漬け」の生活であったこと。

海軍兵学校の生活は、日本的習慣から断絶している。生徒の公的生活の言語も、ほとんどが英語であった。

Life at the Naval Academy was completely cut off from the customs of Japanese everyday life. For their public activities, the students spoke almost entirely in English.

教科書も原書であり、英人教官の術科教育もすべて英語で、返答もいちいち英語でなければならない。号令も大半が英語であり、技術上の術語も、軍艦の大小についての名称もほとんどが英語であった。

The textbooks were in English, as were the specialized lectures of the British instructors. Student responses to questions all had to be made in English. The majority of orders were given in English, and technical terms as well as the names for the various part of the ships, large and small, were in that language as well.

真之らが日本に居ながらにして本場の英国式海軍教育を受けられるようになったのは、それだけ明治日本の進歩といっていい。

That Saneyuki and his contemporaries were able to receive a British-style naval education while remaining in Japan was a sign of just how mush progress Meiji Japan had made.

今から見ても、英語教育という点で、実にうらやましい環境と言えるわけですが、これはもちろん、本作の主人公たちが当時の超エリート学生だから許される光景というわけで。私のような、別にエリートでもないサラリーマンでも、余暇さえ見つかればネットや図書館や英会話スクールでいくらでも自分の生活を英語漬けにできる現代のほうが、やはり、恵まれておりますな。

そう思えば、なおさら、英語学習にも気合が入ります!

ところで、どうして明治海軍が、このような「英国式」徹底主義をとったのか、というと。。。

陸軍がドイツ陸軍を模範とすることを方針としたのに対し、海軍は世界に名だたるイギリス軍を模範とすることを方針に据えたから、となります。その選択の理由は、この小説の中では、イギリスから派遣されてきた教官のダグラス少佐の言葉として、こう説明されています。

「この極東の島国の地理的環境ははなはだ英国に酷似している」

The geographical environment of this island nation of the Far East very much resembles that of Great Britain.

「英国はその国土こそ小さいが、その強大な艦隊と商船団によって世界を支配した」

Great Britain was a small nation, but it ruled the world through the power of its naval and commercial fleets.

「日本帝国の栄光と威厳は、一個の海軍士官にかかっている。言葉をひるがえせば、一個の海軍士官の志操、精神、そして能力が、すなわち日本のそれにかかっている」

The dignity and glory of of the Japanese Empire depends upon each naval officer. And, conversely, the will, spirit, and abilities of each naval officer depend on those of the Japanese nation.

ちなみに、英訳版にしつこく出てくる「naval」(ネイヴァル)は、「海軍の」という形容詞。本書『坂の上の雲』を読むには海軍関係の英単語語彙は必須単語となりますので、その導入として、navalのつく語彙を整理しておきましょう。

【キーワード】
naval:海軍の〜
a naval officer(海軍士官)
a naval academy(海軍学校)
a naval power(海軍大国)

もっとも、真之の在学中に、海軍兵学校は広島の江田島に移転します。おかげで真之にとっては、故郷の松山が近くなり、家族や同郷の仲間たちとの温かい交流が再開されるよいきっかけにもなるのですが、

物語はここで、いったん、海軍の真之のところを離れ、ドイツ式を採用した陸軍の世界の中にいる、兄の好古の物語に戻っていきます。次回は、その様子を見ていきましょう。

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