「明治日本とは漫画(カートゥーン)である!?」日清戦争前後の情勢を語る司馬遼太郎氏の筆は、どう英訳されたか?

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、前回に引き続き、「日清戦争」の章を追っていきましょう。日本語版では、文春文庫の第二巻にあたります。

この章では、作者の筆は、物語の主人公たちの視点をいったん離れ、より大きな「歴史」からの視点で日清戦争前後の情勢を語ります。ドラマよりも、評論的な文章が多くなる箇所です。

ここで、司馬遼太郎氏は、いささか意外な表現で、明治という時代を説明しています。

該当の箇所について、日本語版・英訳版の双方を、並べてみましょう。

「明治日本」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。

Meiji Japan should perhaps be understood as a cartoon.

ちょっと意外な表現すね。これに出会うと、「え?!」と意外に思い、
続きの文章を読んでみたくなるのではないでしょうか?

これだから、司馬遼太郎作品は面白い!

単純に「明治はよかった、それにくらべて今の日本は」という書き方をする(凡百の)歴史小説作家たちと、ここらで違いが出ます。『坂の上の雲』は、日新日露戦争を背景にしている小説で、おおむね明治日本に肯定的なのですが、なんでもかんでも「よかった」としているわけではなく、こういうあたりでちゃんと、バランスをとっていることに、気づかされます。

そもそも、「読ませる文章」として、読者の引き込み方が、とても巧い!

それにしても、どうして「漫画」なのでしょうか?

司馬遼太郎は、こう、続けています。

すくなくとも、列強はそうみた。ほんの二十余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本のすねで歩き、世界じゅうどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、いまはまがりなりにも、西洋式の国会をもち、法律をもち、ドイツ式の陸軍とイギリス式の海軍をもっている。

もちろん、日本人の視点からすると、それは明治時代に成し遂げられた「奇跡」と評価したくなるわけですが、

ふと、同時代の西欧の側からみると、滑稽味がある。

そのところを読者に認識させたうえで、以下のような、重要な指摘をしています。ここは英訳と並べて、引用しましょう。

日本のそれ(帝国主義)は開業早々だけにひどくなまで、ぎこちなく、欲望がむきだしで、結果として醜悪な面がある。

Japanese imperialism, just getting underway, was unrefined, awkward, and nakedly grasping, and in that sense hideous.

滑稽なだけでなく、醜悪(hideous)な面もあったそうです。

もちろん、このあたりについては、人によっていろいろ、意見が出るところでしょう。ともあれこのような、議論を喚起する、「扱うに難しい」テーマにもちゃんと言及しているあたりに、司馬遼太郎が「単純な講談調の大衆作家」ではくくり切れない魅力があることは確かです。

それにしても「漫画」とは、おもいきった表現ですね。

先に引用したとおり、英訳は、ここにcartoonという語をあてています。カートゥーンとは、これもまた、おもいきった訳にしたものですね。この”cartoon”、現代では、どうしても、バックスバニーやらミッキーマウスやらのアニメのことを連想してしまいますが、もともとは近世ヨーロッパの風刺画などにルーツを持つ、なかなか歴史の深い言葉だそうです。

【キーワード】
cartoon=漫画、アニメ。古くは風刺画

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