トルコ=親日説の背景となったエルトゥルール号事件に『坂の上の雲』主人公達はどう関わっていたか

英訳版が出版された、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』。
その物語を追いながら、名セリフや名場面がどのように英訳されたかを勉強していくこの企画ですが、前回に引き続き、「軍艦」の章を今回も扱います。今回は、「トルコが親日国になったきっかけ」とされる、エルトゥルール号事件に、『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山真之がどう関わっていたか、を追うことにしましょう。

まずは、エルトゥルール号事件とは何か?

1890年、時の世界の大国のひとつ、オスマントルコ帝国から、おそらく初めての正式な親善使節として、軍艦エルトゥルール号が日本に派遣されます。明治天皇にオスマン皇帝からの親書も渡し、無事、訪日日程を終えた帰途、不幸なことに、エルトゥルール号は和歌山沖で遭難し、500人以上が犠牲となってしまいました。

ところが、この不幸な事件は、むしろ遭難の後の展開が有名になります。和歌山県の大島村の村民たちが、自発的に集まり、トルコ海兵たちの救助活動にあたり、結果として、70名近いトルコ人の命を救うことに成功するのです。この美談は、本や映画にもなり、今でも、「トルコは親日」説の背景となっています。

(※「説」と断っているのは、あまり他意はありません。ただこの「〇〇は親日国」という話にはデマや都市伝説が多い上に、旧来親日国とされている国でも世代によってはコロリと日本への見方を変えることがあるので、あんまり信じすぎないほうがいい、という意味を込めています。そもそも、「親日」と言われている国へ行ったから日本人が優遇されるとか、守ってもらえるとか、そういう単純な話は現実には滅多にわけですし。ただしトルコが「比較的、日本に好意的」なのは、私もトルコ観光の際に雰囲気としては感じたところです)。

この物語の背景を知りたい方は、いい映画になっているので、こちらなどが参考になるでしょう。

さて、この事件に、実は「坂の上の雲」の秋山真之も絡んでいます。

上記の救助劇によって守られたトルコ兵たちは、日本の軍艦、「金剛」と「比叡」によってトルコに送られることになるのですが、そのイスタンブールへの航海に、若き秋山真之も乗船していたのです。おそらく、彼にとっては初めての遠洋旅行となります。

後にトルコ海軍の宿敵であるロシア海軍を打ち破ることになる、秋山真之の初めての公式外国訪問の目的地がイスタンブールであったというのは、面白い縁の深さを感じます。もっとも、『坂の上の雲』の中でのこのくだりは、あっさりと簡潔に触れられているのみです。より詳細な話を知りたい方は、こちらの産経新聞の記事などが参考になります(秋山真之がイスタンブールから正岡子規に年賀状を出した話など、『坂の上の雲』では省略されたエピソードも出てきます)。

『坂の上の雲』の中では、トルコ海軍兵たちを送還する際の船上で、秋山真之たち若い士官たちとトルコ士官の間で交流が芽生え、秋山真之たちが「日本もアジアの大国としてがんばらねば」という(いかにも明治人らしい)意識に燃える、という情景が描写されています。

「アジアにあってはトルコは凋落したり。かわって日本が立つべきなり」
と、艦上を歩きつつ、それを詩句のようにしてとなえている士官がいる。

“In Asia, Turkey has fallen. Japan should rise to take its place.” An officer paced the deck of his ship, repeating these words as if they were a poetic refrain.

もっとも、こういう気分は現代の私たちには遠い感覚になってしまっていると思います。それが、いいか、悪いか、ではなく、単に時代の状況というものがまるで変ってしまったから、といえるでしょう。そういう意味では、『坂の上の雲』という小説を読んで、明治時代の青年たちが「日本の近代化のために」という目標に純真に集中している姿に共感をしたとしても、大事なことはそのあとに、「でも、自分の場合は、このように情熱を傾けられる対象はなんだろうか」と自問することなのかもしれません。

『坂の上の雲』作品内における、トルコ士官との交流のエピソードはとても短く終わってしまいますが、トルコ側のキャラクターのセリフとして、以下のような「ロシアとの比較」が登場するのは、物語後半の伏線、といえるでしょう。

(トルコ人士官との交流を通じて坂本大尉は)たとえば農夫の出身でも首相の位置にのぼることができるが、首相の職は世襲できない。この点、トルコの社会は日本とよく似ており、いわば無差別社会である、などということを知った。
「この点、われわれはロシア帝国よりはすぐれている。ロシアは貴族以外の階級の者は士官になれないが、トルコではたれでも一定の能力があれば士官になれる」

So, for example, a man of peasant birth could rise to be prime minister but could not that position on to his son. In this regard, Turkey was similar to Japan, where there was also no discrimination on the basis of class. All this and more Sakamoto learned from his conversations with the officers. As one of them put it,
“We’ve superior in this respect to the Russian empire, There no one but a real ability can become an officer.”

【キーワード】
In this regard, A is similar to B:「この点については、AはBと似ている」

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