英語版『坂の上の雲』から、「日本騎兵の父」秋山好古のフランス留学の日々を読む

前回紹介した通り、日本陸軍がドイツ陸軍を模範としていく方針の中で、秋山好古についてはドイツ留学ではなく、フランスへの留学が決まってしまいます。

もっとも、結論としては、このフランス留学は好古にとってとても実りが大きいものとなります。のちに好古は、少なくとも馬術に関してはフランス流こそが日本が学ぶべきものだと考え、その旨を陸軍内で提案していくほどになっていきます。

今回からは、その好古のフランス留学生活を、また日本語版・英語版比較をしながら、見ていきましょう!

まず金銭面についてですが、これは、かなりの苦労を強いられた様子です。小説での描写は以下のようになっています。

途中、「秋山がパリで窮迫しているらしい」というつわさが本国にきこえた。同時にこの留学で好古の騎兵研究が飛躍的にすすんでいるといううわさもきこえ、「日本の騎兵は、秋山大尉の帰国によってはじめて騎兵らしくなるだろう」という期待ももたれていた。

Midway thorough his stay, the rumor that he was living in straitened circumstances in Paris reached Japan, along with the rumor that his cavalry studies were progressing by leaps and bounds. “Japan’s cavalry will become a cavalry in more than name only after Captain Akiyama’s return” — this was the expectation.

日本本国からの期待の高さに比べると、金銭面で窮迫、というのは、一聴すると、アンバランスな話に思えます。ですが、これは自分で馬を飼っておかねばならない騎兵将校という役柄上の辛さと、好古本人のお酒の付き合いの多さのせいもあってのことのようなので、一概に留学費の支給が少なかった云々というわけでもないようですが。

なお、戦史に詳しい方は、こういう歴史小説でMidwayという単語が出てくると、どうしても「あの」ミッドウェイのことを思い出してしまうのではないでしょうか。太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェイ諸島ですね。ミッドウェイの戦い自体も深堀りすれば実にいろいろな教訓が出てくる題材なのですが、「坂の上の雲」を扱うこの記事では、そちらには脱線しないようにして。日本の戦史好きにはとても覚えやすい英単語、Midwayの本当の用法のほうを、せっかくだから覚えておきましょう。

【キーワード】
Midway:「途中で、中間で」
”Midway through the race”=「レースの途中で」
“The midway point of the project”=「プロジェクトの中間点」

それにしても、金銭的に窮迫していたとはいえ、生来のお酒好きの好古にとって、「現地のフランス軍人たちとのお酒の付き合いが多かった」というのは、なんだかとても楽しそうな!

さて、その好古がフランスで研究していたのは、別の回でも説明した「重騎兵」「軽騎兵」「竜騎兵」という兵科のうちの、特に「軽騎兵」の運用に関して、でした。

ヨーロッパの騎兵にはいろいろの種別があるが、日本陸軍はその実情(経済的理由がおもだが)からして軽騎兵のみが採用されていた。

There were various types of cavalry in Europe, but the Japanese Army made use only of the light cavalry for practical reasons, economics most important among them.

日本はこの軽騎兵しか採用する能力がなかったが、しかしそれだけに課題は複雑で、この軽騎兵に他の重騎兵や竜騎兵の機能や戦闘目的をつけ加えようとするものであった。この計画はヨーロッパからみれば、およそ乱暴な発想であったかもしれなかったが、この種の無理やつぎはぎをやっていく以外に日本人がヨーロッパ風の近代軍隊の世界に参加してゆくことはできない。

Japan had only the ability to employ the light cavalry, but that made matters all the more complex since they tried to assign the functions, battle aims, and other duties of the heavy cavalry and the dragoons to the light cavalry. This plan may seemed like a wild idea to Europeans, but there was no way that the Japanese could participate in the world of the modern European military without patching things together like this.

ヨーロッパの騎兵というのは伝統も長い上に、種類や組織体系も洗練されているが、日本は急いで、小規模ながらもすべての騎兵の役割をこなせる効率的な騎兵組織を整備しなければならない。これが秋山好古が取り組む課題となります。

要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけでなく、帰国したのちは好古自身がその建設をしなければならない。

In other words, the Japanese Army was entrusting to this young captain of barely thirty all the research necessary for building its cavalry.

この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯の日本のおもしろさはこのあたりにあるであろう。

Matters relating to the cavalry were handled this way, and all other aspects of Japanese life got the same treatment as well. It was this above all that must have made life in the “little household” of early to mid-Meiji Japan so interesting.

さぞかし大変な留学生活だったと思いますが、たった一人で「日本におけるその分野のパイオニア」と見なされ全面的にバックアップされるのは、やはり、男性目線からすると、うらやましい働き方。

この時代には、他の様々な分野でも、「この分野はオレ一人がヨーロッパから日本に導入するために研究しているんだ」と自負し、かつ周囲からそう期待されていた若者が、たくさん、いたのでしょう!

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