『坂の上の雲』の書き出し分析続き:漢文での試験はどのように英訳されたか?

ついに英語版( Clouds Above The Hill ) が出版された、司馬遼太郎の人気小説、『坂の上の雲』。

名場面や名セリフがどのように英語訳されたかを追うこの企画ですが、今度は、主人公の秋山好古が上京し、陸軍士官学校の入試を受けることになるくだりです。

好古が、市ヶ谷に明治七年に設立されたばかりの陸軍士官学校に願書を提出しに行くと、長州人の大尉が対応に出てきます(あとでわかることですが、のちの総理大臣、寺内正毅)。その時のやり取りが、以下。

「試験は、漢文と英語と数学じゃ」
と、大尉はいった。
好古はおどろいた。英語というのは師範学校のころに一年ほど習ったが、数学はほとんど知らない。漢文だけは幼少のことからやってきたから多少の自信があった。それを話すと、
「では、漢文だけで受けい」
と、この大尉はひどく大ざっぱなことをいった。

“The examination will include classical Chinese, English, and mathematics,” he announced. Yoshifuru was surprised. English he had studied for about one year when he was at the normal school, but he had hardly any knowledge of mathematics. He was fairly confident about classical Chinese since he had studied it since boyhood. When he explained this, the captain replied in an almost casual way, “Well, just take the Chinese portion of the examination.”

【キーワード】
ここにある通り、「漢文」は英語ではClassical Chineseです。もっとも、漢文というものがいかに日本の文化史上、大事なものだったか、どうして現代の中学や高校でも学ばれているのかの「ココロ」を海外の方に説明するのは、なかなか難しいところなのですが。。。

『坂の上の雲』を読み込めば読み込むほど、この時代の日本人には漢文の素養が強く生きていて、彼らは西欧の言語や文化を学ぶ際に、それがベースとして「効いて」いたのだな、と思える場面が、多く出てきます。できたばかりの士官学校の入試でも、英語、数学と並んで漢文が重視されていた、というのは、日本語の歴史を考える上でとても面白い。

ところが、試験当日、秋山好古にちょっとした事件が起こります。漢文の試験時間になると、正面に貼り出された、漢作文のお題は、「飛鳥山(あすかやま)ニ遊ブ」となっていました。飛鳥山というのは、東京の桜の名所なわけですが、好古は上京したばかりで、そんな地名は知らない。そのため、「飛鳥山ニ遊ブ」を、「飛鳥、山ニ遊ブ」(飛ぶ鳥が山中で楽しそうにしている)と誤読してしまい、それはそれで累々と作文をしてしまう、という挿話なのですが、

「飛鳥山に遊ぶ」を「飛鳥、山に遊ぶ」と読み違えた、というこのユーモアを、いったい英訳者はどう処理したのか、見てみましょう。

The assigned topic was posted at the front of the classroom: “Visiting Asuka Mountain.”(教室の前に貼りだされたお題は、”Visiting Asuka Mountain.” となっていた)。

All Yoshifuru knew was that “Asuka” means “soaring birds,” and this led him to another interpretation. “Probably this isn’t the name of a mountain. The characters should be read, ‘Soaring birds play about the hill.”(好古が知っていたことといえば、Asukaとは「飛ぶ鳥(soaring birds)と同義であるということだった。このことが、誤った解釈となった。「これは山の名前ではないだろう。このお題は、飛ぶ鳥がhillで遊ぶ、と読むべきなのだ」

はい、説明調になってしまって、もともとのユーモアが失われてしまいましたね。しかし、このニュアンスを英訳するには説明調にならざるを得ず、ここは苦肉の策だったと思います。その中でも、the hill という、本書の英語版タイトル”Clouds above the hill“と響き合う語を選択したのは、ちょっとした英訳者の心意気かもしれません。

大失敗をしたものの、結局、その利発さが士官の目に留まり、合格することができた好古。彼の陸軍でのキャリアが、こうして、始まります。

⇒次の記事へ

「歴史小説『坂の上の雲』の英語版(CLOUDS ABOVE THE HILL)を読もう!」のトップページに戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です