『坂の上の雲』の書き出し分析続き:「松山出身の三人の主人公のひとり(秋山好古)」はどう英訳紹介されたか?

ついに英語版( Clouds Above The Hill ) が出版された、司馬遼太郎の人気小説、『坂の上の雲』。

名場面や名セリフがどのように英語訳されたかを追うこの企画ですが、前回に続き、書き出しに続く「この物語の三人の主人公」の紹介部分の英訳分析を、続けましょう。

『坂の上の雲』未読の方のために解説しておきますと、

司馬遼太郎が第一章で、「この物語には三人の主人公がいる」と述べているところから始まるのが、この大河小説。三人の主人公というのは、秋山好古と、その弟の秋山真之と、そして、正岡子規のことです。史実でも日露戦争で大活躍した、いわゆる「秋山兄弟」と、その同郷(現在の愛媛県松山市)の友人であった俳人正岡子規の目を通して、「明治」という時代を描くのが、本作の構成の主柱になっています。

これは巧い構成と思います。秋山兄弟を主人公に置けば、兄の秋山好古のほうはのちの日本陸軍のヒーロー、秋山真之はのちの日本海軍のヒーローとして大成するので、日露戦争の描写をする際(本作のクライマックス!)では、陸軍パートの物語は好古の視点から、海軍パートの物語は真之の視点から、それぞれ活写できるわけです。「それでは、もう一人の主人公、正岡子規の視点は、何を受け持っているのか?」というのが、この小説を「ただの戦争小説」と読むか「もっと深い日本文化論」と読むかの違いにかかわる重要なポイントとなるのですが、それは今日はおいておいて、、、。

のちに陸軍に入り、騎兵を率いて大活躍する、秋山好古の初登場シーンを追ってみましょう。

日本語の原版では、こうなっています。

「信さん」
といわれた秋山信三郎好古は、この町のお徒士(おかち)の子に生まれた。 お徒士は足軽より一階級上だが、上士とはいえない。

英訳では、以下の通り。

Another of our heroes is Akiyama Shinzaburo Yoshifuru, known familiar as “Shin”, who was born into a family of okachi samurai in this town. The okachi were one rank higher than common soldiers but were by no means high-status samurai.
(別の主人公、秋山信三郎好古、「信さん」という親称の人物は、この町のお徒士の家庭に生まれた。お徒士というのは一般兵卒よりは上の位だが、高い階級の侍とはいえない)

ちょっとくどい説明調になっていますが、けっこうきれいな英語に訳してくれていますね! 「お徒士」という階級がどれほどのものかも、あっさりと、うまく英訳してくれています。その際に、「足軽」を「common sodiers」と訳したのは、大胆ながら見事な判断と思います。「一般兵卒よりは一階級上」といえば、確かに、お徒士の説明としては、あっています。もっとも、「お徒士」とか「足軽」とかいった用語は、現代の日本人にもピンと来ない表現になっちゃったかもしれません。ではなせ、本ブログの著者である私が江戸時代の階級や役職名にこんなに詳しいのかというと、今はしがない東京都のサラリーマンをやっている私ですが、先祖がいちおう、士族だったからです。「この頃は藩の重役に上り詰めた」「けれどもこの時代にはお徒士クラスと婚姻するほど落ちぶれていた」うんぬんの話を祖母からさんざん聞かされて育っているから、どうにも、士族階級内の「えらい」「えらくない」の話題には敏感です。私程度のレベルの武家の子孫では、「お徒士」くらいがちょうど親近感の湧くレベルで(江戸の侍世界のサラリーマンくらい?)、それが私が『坂の上の雲』大好きな理由かもしれませんが。

好古の紹介の後、物語は以下のように続きます。

信さんが十歳になった年の春、藩も秋山家もひっくりかえってしまうという事態がおこった。明治維新である。

In the spring of the year when Shin turned ten, an event occurred that was to have drastic effects on both the Matsuyama domain and the Akiyama family. The Meiji Restoration.

「ひっくり返ってしまう事態」という文学表現を、[to have drastic effects]と訳したのは、実に巧い、と思った個所です。

【キーワード】
「藩」はdomain、「明治維新」はThe Meiji Restorationです!
日本史の話を英語圏の人とする際には参考にしてください

おそらく他の藩でも、こういうことはあったのでしょうが、
松山藩は幕府側についていたという経緯から、明治維新の際、官軍(薩長土肥)に占領され、苦渋をなめることになります。松山には土佐藩の軍隊がやってきて、いろいろみじめな思いもしたようで、そのことが、のちに日本陸軍の要として大活躍する秋山好古の精神形成にも影響したのではないか、とするのが、司馬遼太郎の筆。故郷の松山の街に、「土佐藩あずかり」というはり紙が出された光景のことを指して、

信さんは十歳の子供ながら、この光景が終生忘れられぬものになった。
「あれを思うと、こんにちでも腹が立つ」
と、かれは後年、フランスから故郷に出した手紙のなかで洩らしている。

Shin had been a boy of ten, but it was something he never forgot all his life. “My blood boils even now when I think of it,” he later wrote in a letter to someone in his hometown from his posting in France.

とあります。ここから、若き秋山好古の、猛勉強と立身出世の物語が始まるわけですが、秋山兄弟にせよ正岡子規にせよ、コンプレックスがあまりねちねちしておらず、どこか(松山の気候のように)からりと処理されていくのが、本小説の魅力だな、と思います。

⇒次の記事へ

「歴史小説『坂の上の雲』の英語版(CLOUDS ABOVE THE HILL)を読もう!」のトップページに戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です