『坂の上の雲』の書き出し分析続き:「松山出身の三人の主人公のひとり(正岡子規)」はどう英訳紹介されたか?

ついに英語版( Clouds Above The Hill ) が出版された、司馬遼太郎の人気小説、『坂の上の雲』。

名場面や名セリフがどのように英語訳されたかを追うこの企画ですが、前回の「書き出し」の分析の、続きをやってみましょう。

今回、見てみたいところは、日本語版でいう以下の部分。

この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかくわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない

そのうちのひとりは、俳人になった。俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖になった正岡子規である

子規は明治二十八年、この故郷の町に帰り、
ー春や昔 十五万石の 城下かな
という句をつくった。

ここにおいて、
・『坂の上の雲』というこの大河小説には、主人公が三人いること
・その三人が伊予(現在の愛媛県)の松山出身であること
・よってこの物語は幕末明治初期の松山を背景に、まず三人の主人公の生い立ちを描写するところから始めるぞ

・・・ということが無理なく説明されています。そればかりでなく、三人の主人公の一人、正岡子規の後年の俳句をさっそく一遍、引用することで、松山の情景まで読者に強く印象付ける、という構成になっております。

英訳担当者達は、ここをどのように英語にしたか、見てみましょう。まず、最初の一文。

The heroes of this story are three Matsuyama men whose paths we must trace: (Though perhaps the small country of Japan in that period is the principal character of our story).
(松山人である三人のこの物語のヒーロー達の生い立ちを、私たちは追ってみなければならない(もっとも、この物語の新の主人公はこの時代の小さな日本かもしれないけれども))

いきなり、とても勉強になる英訳ぶりです。日本語では、「この物語の主人公は日本そのものかもしれないけれど、実際には三人の人物を追います」という情報構造になっているのが、英語版では「我々は三人の主人公(heroes)を追っていく(trace)、もっとも、この物語の本当の主人公(the principal character)は日本そのものなのですが」と、逆になっている。日本語と英語とは、文型の違いだけでなく、主要な情報とサブ情報の順序が大きく違うので(一般に、日本語は文の最後が一番大事で、英語は文の最初が一番大事)、プロの翻訳を見るとこのように、「単に日本語を英語に置き換えただけでなく、情報の出てくる順序を入れ替えた」パターンをよくみかけます。そして、これこそが、本当に伝わりやすい翻訳文を作るコツ、ともいえるのでしょうが、素人にはなかなか真似できないところであるのも確か。

次の文は以下のようになっています。

One of them became the haiku poet Masaoka Shiki, who breathed new life into haiku and tanka, those short poetic forms traditional to Japan.
(そのうちの一人は、俳人になった正岡子規、俳句や短歌といった日本の伝統的な詩に新しい息吹を吹き込んだ人物である)

俳人を「haiku poet」、俳句と短歌を「haiku and tanka」と特に説明もなく言い切っているのは、個人的にはちょっと驚き。

さて、翻訳の問題として面白いのは、次です。子規の俳句も英訳されているのですが、

In 1895, returning to his hometown of Matsuyama, Shiki composed a haiku.
– Spring of old
– this castle town once boasted
– one hundred fifty thousand koku of rice
(1895年、彼の故郷の松山に帰った時、子規はこんな俳句を作った。
古き春 この城下町は誇っていたものだ 十五万石の繁栄を)

ぜんぜん違ってしまいましたね。もともと俳句を英訳するなど無茶な話だとわかっているのですが、このニュアンスの変わりぶりは、やはり、日本人としては戸惑ってしまいます。しかし考えれば考えるほど、「感情共感型」の日本語を、「情報説明型」の英語に乗せ換えるとなると、こういう説明調になってしまうのは仕方ないのかもしれません。

【キーワード】
haiku poet=「俳人」。英語圏でも俳句はhaikuで、そのまま通じます!
compose=詩や俳句を「創る」は、「コンポーズ」を使います!

いささか余談ながら、私は十代という若い時期に初めて『坂の上の雲』を読み、その時は、「日露戦争の物語なのだから、秋山好古と秋山真之が主人公なのはわかるが、なぜ、三人目の主人公として、正岡子規がからんでくるのだろう? 軍人ではないし、日露戦争の始まる前に亡くなってしまうし。正岡子規の話は余計なのではないか」と思ってしまったものです。

今の年齢になると、むしろ、「正岡子規が主人公の一人であることをどう見るか」こそが、『坂の上の雲』解釈の最大のキーである、と思うほど、重要視するようになりました。その話も、本ブログの中で、おいおい、検証していくことにいたしましょう。

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