本気で空海先生に倣うなら人生の目標は「地上の全言語を習得」たるべし、と思う話

本当に、この話題がしつこくて申し訳ございませんが、弘法大師こと空海先生が大好きです。仏教の偉人というよりも、語学の達人としての生き様に、深い畏敬の念を抱いております。

そういう次第で、今日も世界の様々な言語の勉強にいそしんでおりますが、

かつて本ブログの別の記事にも書いた通り、空海先生の文章の尋常ではない思考の幅の深みは、「やまとことば」「漢文」「サンスクリット」の三言語の精神を体得していたからではないでしょうか。

多種多様な言語に深く習熟すると、そもそもの母国語での思考が結果として大海のように広く深く豊かになる。そんな好例を、ここに見るとするならば、

やはり私は、外国語をがんばらねば。私は仏教僧ではないし、これからどんなにがんばっても弘法大師様のようなスーパーな存在に覚醒できるはずもないが、せめて「マルチリンガル」な精神だけでも学びたいと、あらためて、思うのでした。

そしてさらに言うならば、今の時代、情報テクノロジーのおかげでたくさんの言語を並行で習うこと自体はできるのだから、目標は、「生涯のうちに、1ヶ国語でも、多く!」と置いておきたい。

「では、結局、何カ国語くらいが理想なの?」と問われれば

理想でいうなら、夢は高く、「地上の全言語」であるべきでしょう!

そんなの無理だ!時間的にも、生物学的にも、そもそもたぶん脳科学的にも不可能だ!だいいち、「全言語」とはいったいいくつなのかさえ不明だというのに!

と、言われることは百も承知。でも、「真に人間世界というものを知り尽くしたいなら、地上のいかなる片隅の少数民族のココロまでもを理解したいなら、理想は全言語!」と豪語すべきでしょう。

それに、ひょっとしたら、

自分が生きているうちに、外国語学習の、ものすごく効率のいいシステムが開発されたり、遺伝子科学で寿命が爆発的に伸びたり、あるいはサイボーグ技術で脳にコンピュータを埋め込んだりで、「やろうと思えば全言語を頭に入れられる」日が、こないとも限らない。子供っぽい夢想とは百も承知ながら。

だとすると、やはり、諦めちゃいかん。人生の目標は、あくまで「全言語に触れる!」。

それに、よく言うでしょう、「最初から現実的な目標を置くのではなく、無茶な目標を掲げたほうが、結果としては高いところまでいける」云々。だとすれば、あくまで目標は全言語で、死ぬ間際に「さすがに全言語は無理だったが、◯ヶ国語までいけたなら、まあまあじゃったな」と回顧できれば、それでいいとも思う。

というわけで、

よし、今日も頑張って、外国語の勉強、開始!

※尚、空海先生関連の別の過去記事はこちら

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