もしAIが発達しきって人間の仕事が全部奪われたとしても空海先生に倣える生き方ができるなら悪くない話

本当に、この話題がしつこくて申し訳ございませんが、弘法大師こと空海先生が大好きです。仏教の偉人というよりも、語学の達人としての生き様に、深い畏敬の念を抱いております。

そういう次第で、今日も世界の様々な言語の勉強にいそしんでおりますが、

ふと、ニュースサイトのコラムで、「AIの進化は人類の未来にディストピアをもたらすのではないか」という文章を見つけました。主張としては、以下のようなものです。

・AIが発達すると、人間の仕事はほとんどすべて奪われる

・もっとも、その世界では、生活必需品はほとんど無料で、手に入ってしまう。よって、失業したからといって苦しいことは特にない。何をしても、何もしなくても、衣食住はおろかレジャーの選択肢にも困らない、究極のベーシックインカム状態となる

・開発途上国と先進国の差異も標準化されるので、格差もなくなる。戦争も犯罪もなくなる

・だがその世界は、恐ろしく退屈で、なんの発展も、喜びも、活力もない世界だろう。人間は家でゴロゴロして一生を過ごす他ない。これはもはや、一種のディストピアであろう

このような未来予想が、当たるかどうかは、別として。

もし、「当たった」と仮定してみましょう。その場合、僕が思ったのは、「家でゴロゴロしている以外に仕方がない世界が、そんなに悪いことだろうか」というところ。

それって、人類全員が、ひたすら自己自身と向き合うしかなくなるわけで、少なくとも仏教的な発想から言えば究極の理想社会ではないでしょうか。

もしそのような世界になったら、私はどうするか?

まず、密教の世界によくある、「生涯に百万回、このマントラを唱えるべし」系統の、「異常に時間のかかる修行」の類を、そのときこそ試してみるでしょう(いまでも、やってはみたいのですが、社会人生活が許してくれない、、、)

空海先生の真似をして、山にこもってひたすら古典を読み続けたり

瞑想やヨガを極限まできわめる、なんてのも、いい。精神修養系のことが、いくらでも、できる。それで、みんなが仙人のような生き方をすれば、ディストピアも怖くないはず。

まあ、そんなふうになったらなったで、人類はゆるやかに人口を減らして消滅するかもしれませんが、、、。

などというのは、あくまでも空想であって、本当の未来は誰にもわかりませんが、

「アグレッシブに生きる目標がない世界なんて退屈だろう」という考え方には、少し違和感があるし、

そうでなくとも、先がどうなるかわからない昨今なら、なおさら、自我とか主体とか我執とかいったものは、できるだけ軽くするのがよいと思っています。

となると、いつもの結論ですが、、、

とりあえず、外国語を、やりましょう!

自我も相対化できるし、脳は鍛えられるし、読める古典の質量も増える。よいことだらけです!

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