英語学習の本当の魅力は語彙の凄まじさにあり

一説には、英語という言語の特徴は、語彙の豊富さにある、とのことです。

名詞・形容詞・動詞、品詞はいろいろありますが、とにかく、使用可能な単語が多い、ということ。

日本語にも、「一生使わないようなマニアックな難読漢字」のようなものがありますが(それゆえ、漢字検定やら、難読漢字クイズやらが成立するわけですが)

英語においても、ネイティブスピーカーであっても「なんだこれは?」と驚くようなマニアックな単語なるものが多種あり、しかし、辞書にはちゃんと出ている、という感じです。

実は、この「語彙の豊富さ」というもの、私自身の英語学習経験上でも強く感じてきたことであり、

最近は、この「語彙の豊富さ」を自分の精神の中に取り入れることこそが、英語学習の最大の効用ではないか、と思うようになってきました。

つまり、他者とのコミュニケーションだけではなく、

自分の頭の中で、何か物事を考える際に、英語の語彙を使用できるようになること、これこそが最大の魅力ではないかと。

日本語でものを考えるときに、たとえば「人間の権利」などという言葉を使って考えるより、human rightsという言葉を借用して考えたほうが、思考がスムーズにつながる。

これは、英語というものの語彙が、数の多さだけではなく、少なくとも近代以降、世界中で広く使われてきたために、法律や経済や社会、あるいはビジネスやマネジメントのことを考える上での語彙が、圧倒的に「こなれている」。これと比較すると、日本語の「権利」とか「市民」とか「公共性」とかいった単語は、なんだかんだ言っても、明治維新以降に作った「造語」という感じがして、どうにも、歴史が浅い。英語に出てくる単語ほど、広い地域で、長い歴史をかけて、たくさんの人によって錬鉄されてきた迫力がない。

日本語には、もちろん、日本語の魅力があり、良さがありますが、

語彙の凄まじさ、という点では、これはもう英語にかなう言語はないのではなかろうか、と最近、思う次第なのでした。

歴史の古さや、使用者の広さということでは、中国語とフランス語も、もしかしたら、英語に対抗できるだけのものを持っているのかもしれませんが、残念ながら私がそれらにあまり詳しくないので、比較はできません。専門家の意見などをどこかで見つけたら、ぜひ、参考にしたいところですが、

少なくとも現在においては、語彙の豊富さという面での、英語の圧倒的優位は崩れそうにありませんし、

ひょっとしたらこれを超える言語は(自然言語としては)もう出てこないかもしれない、と、思うのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です