「開戦へ」(TOWARD WAR)の章における、児玉源太郎描写を読む

文春文庫版では第三巻の中盤、英語版では第二巻に登場する、『開戦へ』の章
(英語版でのタイトルは、”TOWARD WAR”)。

いよいよ日露開戦の気運が高まる中での、日本側の戦争準備が描かれる章です。

主人公である秋山兄弟は登場せず、どちらかといえば、軍や政府、財界のトップ層の動きが描かれます。「もはや戦争やむなし」という中での登場人物達の緊張感が、ひしひしと読者にも伝わってくる展開。

こういう「物語をじわじわと盛り上げる」語りの巧さは、司馬遼太郎氏のお得意とするところ。

そして本書のファンとしては、この章の嬉しいところは、物語の後半で大活躍をすることになる、参謀次長、児玉源太郎が初登場するところでしょう。日本語版では、その登場シーンは、以下のように描かれます。

明治三十六年のこのような時期、兜町の渋沢栄一の事務所の受付に、白い詰襟服の面会人があらわれた。
齢のころは五十ぐらいの小柄な男である。頭が里芋の子のようにまるく、きれいに禿げているが、目に愛嬌があり、どこか子供っぽくてたえずくるくる動いている。

里芋の子のようにまるい禿頭」という表現自体が、とても面白いところですが、さてはて、これを英語版の翻訳者たちはどう料理したかを見てみると、

Around this time, in 1903, a man in a white jacket buttoned up the front presented himself at the reception desk of Shibusawa Eiichi’s office in Kabutocho.
He was a small man, about fifty years of age.
His head was as round as a small taro, and very bald, but he had a twinkle in his eyes, which were in constant motion, like a child’s.

該当の箇所が、おわかりいただけたでしょうか?

「え? 小さなタロウってどういうこと? 児玉さんの下の名前はゲンタロウでしょ?」

と戸惑った方は、ちゃんと読んでください!taroの頭文字は、大文字ではないですよ(=普通名詞ですよ)! 

ここに出てくるtaroは、タロイモのことですね。「里芋の子のようにまるい禿頭」を、英語版は、「小さなタロイモのような丸い頭」とまとめています。英語に「サトイモ」という語はないわけなので、タロイモを使っているわけですが(確かに、私の手元にある和英辞書でも、里芋=taroで載っていました)、この比喩でちゃんと英語圏の人にイメージが伝わるのかどうかはちょっと心配かも、、、!

日本では里芋はお弁当の定番であり、イメージがわきやすいのですが、向こうの人がa small taroと言われてイメージするものと、ちゃんと合うのかしら、、、とか。

本章は、上述の、児玉源太郎の渋沢栄一訪問に始まり、「御前会議で対ロシア戦争が決定された」旨を伊藤博文が金子堅太郎に伝えるシーンにつながっていきます。ここでの伊藤博文のセリフがもたらす悲壮感が、ますます物語の緊張感を高めます。

「かくいう伊藤も」
と、伊藤はいった。
「もし、満州の野で日本陸軍が潰滅し、対馬海峡で日本海軍がことごとく沈められ、ロシア軍が海陸からこの国にせまったばあい、往年、長州の力士隊をひきいて幕府と戦ったことをおもい、銃をとり兵卒になって山陰道から九州海岸でロシア上陸軍をふせぎ、放火のなかで死ぬつもりだ

司馬遼太郎氏の他の小説を読んでいる人ならば(そうでなくとも幕末明治に詳しい人ならば)、伊藤博文はもともと、長州藩で、高杉晋作や桂小五郎と一緒に討幕運動を戦った幕末の志士出身なのは、承知のところ。このセリフで、他の司馬遼太郎の「幕末明治もの」と感情がシンクロしあうところが、実に、物語として、感動的で、巧い。

ちなみに上記のセリフ太字部分の英語版は、以下のとおり。

I will recall how, many years ago, I led a unit of sumo wrestlers into battle against the shogunate. I will pick up a rifle and become a common soldier, fending off a Russian landing anywhere between San’in in western Honshu and the west coast of Kyushu.
 I intend to die in a hail of gunfire.

※↑長州奇兵隊の《力士隊》が、a unit of sumo wrestlers と直訳されているのは、致し方ないところ。

この伊藤の悲壮な様子を見て心配になった金子堅太郎が、今度は陸軍の参謀次長である児玉源太郎のところを訪ねて、日本の勝算についての見解を聞く、というのが物語の展開です。十代後半の時に、はじめて以下の児玉のセリフを読んだ時の私は、「児玉源太郎、格好いい、この人ならなんとかしてくれるかも!」と強烈な印象を受けたものでした。

「ここ三十日というあいだ、私はこの部屋にとまりこみで、夜は軍服のままで毛布をかぶって寝るという生活をしているのだが、どう作戦をたてかえたてかえしても、勝負を五分五分にまでもってゆけるかどうかがやっとだ

For these past thirty days, I’ve stayed in this room, sleeping in my uniform with a blanket thrown over me at night. No matter how I rework our strategy, even a fifty-fifty chance seems the best we could do.

「ここの戦いに勝つためには、ロシアが一万の兵力をもってくればこちらは二万でゆく。むこうが三万ならこちらは六万でゆくといったふうに、倍数をもって戦うつもりでいる。この第一番の戦いに勝てばむこうの士気も衰え、あるいは六分四分までもってゆけるかもしれない

If we do win this first battle, the enemy’s morale will be weakened, and we may be able to bring our chances up to sixty-forty

児玉源太郎のキャラクターにすっかり感化された、十代後半の私は、高校制服のままで毛布をかぶって寝るという生活をしながら、一生懸命受験勉強、、、ではなく、『坂の上の雲』を連日深夜まで読み込むという生活をしてしまったのでした。

物語はしだいに盛り上がり、日露戦争開戦、近し!

「歴史小説『坂の上の雲』の英語版(CLOUDS ABOVE THE HILL)を読もう!」のトップページに戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です