映画『バタリアン』で英語を学ぼう!

モンスターの呼称も、セリフの細かいところも、そもそもタイトルさえも原語無視の名翻訳!海の向こうで「バタリアン」と言っても通じないので気を付けましょう!

英語から日本語への翻訳は、難しいですよね。

わかりきっていることですが。あらためて。

特に、映画の翻訳などは、

・そのまま直訳したら、日本の観客にはうまく伝わらず、ヒットしない
・かといって、原語(英語)からあまりにも飛躍してしまうと、もとの制作者の意図と離れてしまい、それはそれで問題

という二重苦の中でやっているわけで。それゆえに、「名訳」も、やむをえざる「珍訳」もどうしても出てきてしまう世界なのでしょう。

ですが、この『バタリアン』。日本の「映画翻訳の歴史」をめぐる本などというものがもしあったら(ひょっとしたらもうあるのかもしれませんが!)、ぜひ、名事例の一つとして、あげてほしい。それくらいに、すごい翻訳がなされている一作なのです

どこがすごいのか、、、を説明する前に、本作がそもそもどういう内容のホラー映画なのか、あらすじを簡単にご説明しましょう。

アメリカのとある田舎町に、バタリアンと名乗る、恐ろしいゾンビの軍団が襲い掛かる。ハゲでタフなゾンビ『ハーゲンタフ』や、しわくちゃの女ゾンビ『オバンバ』など、どことなく剽軽だが恐ろしいゾンビたちに取り囲まれた町の住民たちは、果たして、無事に逃げ延びることができのか?

まぁ、こんな感じです。さて、上記のあらすじを読んだだけで、いろんな「?」が浮かんだ方もいらっしゃることでしょう。

「ハゲでタフだからハーゲンタフって、なんだか日本語のダジャレっぽくない?」
「オバンバっていうのも、日本語のセンスだけど、英語版ではどう呼ばれているの?」 
「そもそも、ゾンビ軍団の名前がどういう経緯でバタリアンになったの?」

これらの質問については、結論から言うと、「どうやら日本語版製作スタッフが、勝手に決めたらしい!」ということになります。もっとも、「日本の観客に受けるために、勝手な翻訳をガンガンやっちゃうよ」という許可はちゃんと制作側には伝えていたようです。それに対してOKを出した本作の監督はダン・オバノン。スペースバンパイアやスペースインベーダーでトビー・フーパーと組んでいた人ですね。いい人だ!

というわけで、ハーゲンタフやらオバンバやらといった本作のモンスター達、オリジナル版では特に名前はありません。クレジットでいえば、「ゾンビ1」「ゾンビ2」とか書かれている程度の手合い。それが日本語字幕版では、「あいつはハーゲンタフだ!」「あいつはオバンバだ!」と呼ばれていて、その名前が劇場販売パンフレットや下敷の「キャラクター説明」にも載っていたわけです。本作の公開当時は私は小学生でしたが、確かに、ハーゲンタフやらオバンバやらのキャラ紹介が入った下敷きを学校に持ってきている男子がいたなぁ。。。
きわめつけが、タイトルの『バタリアン』。これもまた日本語オリジナルの呼称で、原題は、”The Return of the Living Dead”。ここでReturnが使われているのは、「死者が蘇る」という意味よりも、ジョージ・ロメロの名作ホラー”The Night of the Living Dead”へのオマージュとしての意味が込められています。

「オフィシャルな続編ではないけど、先行の有名ホラーの設定をオマージュとして使っていますよ」ということで、このタイトルを意識すると、たちまち、”The Night of the Living Dead”との比較でみてしまう。そう、本作は、”The Night of the Living Dead”をリスペクトしつつパロディしている、コメディタッチの作品なのです。ところが、日本では “The Night of the Living Dead”といっても、ホラーファン以外にはそんなに有名ではないので、悩んだ挙句に、タイトルを『バタリアン』にした、と。いやしかし、どっから出てきた発想なんでしょうね、、、。

さて本作の面白みは、 ゾンビ映画のひとつには違いないのですが、「コメディタッチ」ということで、ある意味調子に乗って、”The Night of the Living Dead”に登場するゾンビなどとは比較にならないほど凄い能力を、ゾンビに与えてしまっている。荒唐無稽ともいえる圧倒的能力を与えてしまっている。たとえば。モトネタとなっている”The Night of the Living Dead”では、ゾンビを倒すには頭部を破壊すればよいことになっていますが、本作『バタリアン』のゾンビたちは、頭を破壊されても死なないどころか、腕一本、足一本になっても人間に襲い掛かってくるのです。

そんなら燃やしてしまえばと、焼き払ってみたら、その灰が雨と一緒に降ってくると墓場にいた別の死体をよみがえらせちゃう。そんな具合に、まさに無敵状態。ホラー映画史上でも最強に匹敵する設定を与えられたモンスターかもしれません。

恐怖と笑いは表裏一体ということを身をもって証明してくれているような一作が、この作品なのでした。

本作の気になる英語表現

本作は、コメディタッチな作品ということで、セリフの掛け合いで笑わせようという場面が多々あり、英語表現もいろいろ面白可笑しいものばかりなのですが、その分、キャラクターの口も汚いし、だいいち主人公たちが教育程度の悪い「アホ属性」という設定のため、そもそも英文法的にもおかしいセリフが多数。つまり、あまり真似しちゃいけない表現だらけな作品です。

ここは作品における最頻出単語に注目するという意味で、【脳みそ:brain】という英単語に注目してみましょう。

日曜洋画劇場などで本作を初見された方なら印象に残っている通り、バタリアン(と、あえて呼ばせていただきます)の口癖は、「脳みそをよこせー」。英語でも、”brains!”と言いながらしつこく追い掛け回してくるのがバタリアンの特徴です(その執念がとてもしつこいから、面白くかつ怖い、、!)。

ところがオリジナルの英語版を見ていると、このbrainという英単語は他の場面でも積極的に使われています(統計的に見れば、本作品での”brain”という単語の出現頻度は映画史上の中でもかなり高い頻度になるはず!)。たとえば、最初のほう、初めてのゾンビとの遭遇戦で、主人公たちがゾンビを倒す算段を練る際に、このような言い方をしています。ここのダイアローグのポイントは、本作品中に登場する主人公たちも、 “The Night of the Living Dead” を鑑賞したことがあり、ゾンビと戦うにあたって映画を参考にしようとしている、という点です。

In that movie, they destroyed the brain to kill them, right?
(あの映画( “The Night of the Living Dead” )では、ゾンビを殺すには脳みそをぶっ潰してたよな?)
Right.
(ああ、そうだな)
Come here, stand right over here. When it comes out, brain it with the axe.
(よし、お前、こっちへ来て、ここに立っていてくれ。いいか、奴がここを通ったら、お前、斧で奴の脳をぶったたいてくれ)
Jesus!
(ええ?!)

で、斧で頭を切断してみても、胴体が襲ってくるので何の解決にもならない、、、というか、事態はさらに深刻化していくのを受けてのダイアローグが、以下。

I thought you said if we destroyed the brain, it’d die!
(あんた、さっき、脳みそをつぶせば奴は死ぬって、確かに言ったはずだよな!?)
It worked in the movie.
(映画ではそれでうまくいっていたんだけどな、、、)

この、「過去のホラー映画を参考にして戦ってもまったく通用しない」ブラックジョークに加えて、後半になると、このゾンビ達は、brainをつぶされると死ぬどころか、むしろ生者の脳みそを生きたまま食べることに異様な執着を持つ連中であることが判明するという二重のギャグになっているわけですね。

ちなみに、バタリアンの「脳みそよこせー」は、英語では以下のような言い方になっています。

Brains!
More
brains!
A living brain!

三番目のやつは、「生きた脳みそー!」とでも訳すべきでしょうか。この場合だけ複数形ではなく不定冠詞になっているあたり、ゾンビになったとしても、やはりネイティブのイングリッシュスピーカーなのだなぁと、妙なところに感心してしまうのでした。

子供へのクリスマスプレゼントは手作りスペイン語絵本にしてみました

「自分の心身を追い詰めるほどにまで外国語をやろう!」をテーマに掲げるこのブログ。

クリスマスだからといって、外国語勉強を休みはしません。

二歳になる娘へのクリスマスプレゼントにすら、容赦なく、外国語ネタを差し込んでみました。

というのも、

最近の私の娘は、すっかり、ティム・バートンの『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』にのめりこんでいるのですが

そんな娘へのプレゼントにと、私、深夜までがんばって、なんと、『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の自作絵本を作ってあげたのです。

ただし、スペイン語で!!


娘の喜びようといったら!

「お父さんがジャックを描いてくれた!」と大はしゃぎ。うむ、これはよいことをした。

「お父さん、この絵本読んで」と言われるたびに、スペイン語で朗読をしてあげなければいけないことになった、私自身の外国語練習にも、これは実に、よい。何遍も何遍も、スペイン語を読み上げさせられることも、子供が喜ぶならば、苦ではない。

それにしても、素人づくりながら、[ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の雰囲気はちゃんとでていて、まあまあな出来ではないでしょうか?

こんな感じ!

「開戦へ」(TOWARD WAR)の章における、児玉源太郎描写を読む

文春文庫版では第三巻の中盤、英語版では第二巻に登場する、『開戦へ』の章
(英語版でのタイトルは、”TOWARD WAR”)。

いよいよ日露開戦の気運が高まる中での、日本側の戦争準備が描かれる章です。

主人公である秋山兄弟は登場せず、どちらかといえば、軍や政府、財界のトップ層の動きが描かれます。「もはや戦争やむなし」という中での登場人物達の緊張感が、ひしひしと読者にも伝わってくる展開。

こういう「物語をじわじわと盛り上げる」語りの巧さは、司馬遼太郎氏のお得意とするところ。

そして本書のファンとしては、この章の嬉しいところは、物語の後半で大活躍をすることになる、参謀次長、児玉源太郎が初登場するところでしょう。日本語版では、その登場シーンは、以下のように描かれます。

明治三十六年のこのような時期、兜町の渋沢栄一の事務所の受付に、白い詰襟服の面会人があらわれた。
齢のころは五十ぐらいの小柄な男である。頭が里芋の子のようにまるく、きれいに禿げているが、目に愛嬌があり、どこか子供っぽくてたえずくるくる動いている。

里芋の子のようにまるい禿頭」という表現自体が、とても面白いところですが、さてはて、これを英語版の翻訳者たちはどう料理したかを見てみると、

Around this time, in 1903, a man in a white jacket buttoned up the front presented himself at the reception desk of Shibusawa Eiichi’s office in Kabutocho.
He was a small man, about fifty years of age.
His head was as round as a small taro, and very bald, but he had a twinkle in his eyes, which were in constant motion, like a child’s.

該当の箇所が、おわかりいただけたでしょうか?

「え? 小さなタロウってどういうこと? 児玉さんの下の名前はゲンタロウでしょ?」

と戸惑った方は、ちゃんと読んでください!taroの頭文字は、大文字ではないですよ(=普通名詞ですよ)! 

ここに出てくるtaroは、タロイモのことですね。「里芋の子のようにまるい禿頭」を、英語版は、「小さなタロイモのような丸い頭」とまとめています。英語に「サトイモ」という語はないわけなので、タロイモを使っているわけですが(確かに、私の手元にある和英辞書でも、里芋=taroで載っていました)、この比喩でちゃんと英語圏の人にイメージが伝わるのかどうかはちょっと心配かも、、、!

日本では里芋はお弁当の定番であり、イメージがわきやすいのですが、向こうの人がa small taroと言われてイメージするものと、ちゃんと合うのかしら、、、とか。

本章は、上述の、児玉源太郎の渋沢栄一訪問に始まり、「御前会議で対ロシア戦争が決定された」旨を伊藤博文が金子堅太郎に伝えるシーンにつながっていきます。ここでの伊藤博文のセリフがもたらす悲壮感が、ますます物語の緊張感を高めます。

「かくいう伊藤も」
と、伊藤はいった。
「もし、満州の野で日本陸軍が潰滅し、対馬海峡で日本海軍がことごとく沈められ、ロシア軍が海陸からこの国にせまったばあい、往年、長州の力士隊をひきいて幕府と戦ったことをおもい、銃をとり兵卒になって山陰道から九州海岸でロシア上陸軍をふせぎ、放火のなかで死ぬつもりだ

司馬遼太郎氏の他の小説を読んでいる人ならば(そうでなくとも幕末明治に詳しい人ならば)、伊藤博文はもともと、長州藩で、高杉晋作や桂小五郎と一緒に討幕運動を戦った幕末の志士出身なのは、承知のところ。このセリフで、他の司馬遼太郎の「幕末明治もの」と感情がシンクロしあうところが、実に、物語として、感動的で、巧い。

ちなみに上記のセリフ太字部分の英語版は、以下のとおり。

I will recall how, many years ago, I led a unit of sumo wrestlers into battle against the shogunate. I will pick up a rifle and become a common soldier, fending off a Russian landing anywhere between San’in in western Honshu and the west coast of Kyushu.
 I intend to die in a hail of gunfire.

※↑長州奇兵隊の《力士隊》が、a unit of sumo wrestlers と直訳されているのは、致し方ないところ。

この伊藤の悲壮な様子を見て心配になった金子堅太郎が、今度は陸軍の参謀次長である児玉源太郎のところを訪ねて、日本の勝算についての見解を聞く、というのが物語の展開です。十代後半の時に、はじめて以下の児玉のセリフを読んだ時の私は、「児玉源太郎、格好いい、この人ならなんとかしてくれるかも!」と強烈な印象を受けたものでした。

「ここ三十日というあいだ、私はこの部屋にとまりこみで、夜は軍服のままで毛布をかぶって寝るという生活をしているのだが、どう作戦をたてかえたてかえしても、勝負を五分五分にまでもってゆけるかどうかがやっとだ

For these past thirty days, I’ve stayed in this room, sleeping in my uniform with a blanket thrown over me at night. No matter how I rework our strategy, even a fifty-fifty chance seems the best we could do.

「ここの戦いに勝つためには、ロシアが一万の兵力をもってくればこちらは二万でゆく。むこうが三万ならこちらは六万でゆくといったふうに、倍数をもって戦うつもりでいる。この第一番の戦いに勝てばむこうの士気も衰え、あるいは六分四分までもってゆけるかもしれない

If we do win this first battle, the enemy’s morale will be weakened, and we may be able to bring our chances up to sixty-forty

児玉源太郎のキャラクターにすっかり感化された、十代後半の私は、高校制服のままで毛布をかぶって寝るという生活をしながら、一生懸命受験勉強、、、ではなく、『坂の上の雲』を連日深夜まで読み込むという生活をしてしまったのでした。

物語はしだいに盛り上がり、日露戦争開戦、近し!

「歴史小説『坂の上の雲』の英語版(CLOUDS ABOVE THE HILL)を読もう!」のトップページに戻る

映画『遊星からの物体X』で英語を学ぼう!

タイトルを『物体エックス』と訳し、作中モンスターの攻撃方法を『同化攻撃』と訳したのは、いったい誰だ!?

日本であろうと海外であろうと、ネットで『物体X』ないし原題の”THE THING”を検索してみるだけで、この映画の根強いファンが、どれほど、各国にたくさんいるかがわかります。ストーリー考察にせよ、モンスターの能力解説にせよ、みんな熱心なこと。

つまり、みんな、愛に溢れている!

実際、この映画は、何度観てもいつだって、面白い!

本作こそ、日曜洋画劇場世代からの「愛され」映画なのだ!

今どきの映画からは失われた、この手作り感、ザラザラとしたビデオテープ感覚、これが。いいのです。だいいち、本作の、《凍てついたグチョグチョピクピク世界観》は、高解像度のリマスター版なんぞで観てもしょうがない。

日曜洋画劇場から録画したVHSテープを仲間内で貸し回しながら見るか、あるいは近所のレンタルビデオに自転車で乗り付けて借りてくるか。いずれにせよ、とことん、VHS程度の低画質こそが似合う世界。80年代ホラーですね!

確かに、内容は、グロテスク。でも、現代の視点で見ると、もはや笑いすら漏れてくるほどの「やりすぎメイクアップ」ばかり。現代のCGではむしろ出せない、「てづくりお化け屋敷のコワ楽しさ」。怖い。気持ち悪い。痛そう。でも、ちょっと笑ってしまう。なんて贅沢な映画体験でしょう! このような作品が、発表当時は、「青少年に悪影響を与える映画」としてBBCのニュースで非難されていたとは、今から思えばなんとのどかな話でしょうか! 宇宙からやってきた「物体X」とでもしか呼びようのない「モノ」が、次々と南極基地の隊員を「同化」していく話が、どうして少年犯罪を誘発する有害映像なのでしょうか、、、!

本作の気になる英語表現

それにしても、天才的なのは、原題の”the thing”を「物体X」と訳し、モンスターの能力を「同化」と訳した、当時の翻訳家の抜群のセンス!

だいいち、このモンスター(物体エックス?)の能力、英語では《擬態》としか説明されておりません。たとえば、最初に犬が犠牲になった直後の会話では、以下のように説明されているばかり。

That imitates other life-forms, and it imitates them perfectly.When this thing attacked our dogs, it tried to  digest ‘em, absorb them. For instance.That’s not dog.It’s imitation.
(あいつは他の生命体を擬態するらしい。そして、見事に化けてしまうんだ。
あいつが俺たちの犬を襲ったとき、あいつは犬の体を吸収し、消化し、その犬そっくりに擬態しようとしていた。
たとえば、この犬の死体だが、これはもう犬じゃない。犬を擬態したナニカだ)

これがどうして翻訳版では「あいつは他の生き物と同化するのだ」にされちゃったのか!英語版ではimitateとかmimicとか言っている。absorb(吸収)してdigest(消化)した相手に擬態(imitate,mimic)すると、わりかし、理屈っぽいことを言っている。

ところが日本語版はこれを一言で述べてしまいます。「同化した!」と。確かに、「あの未知の生物は、他の生命を食べた後にその犠牲者に化けるのだ!」と言われるより、「あの物体エックスは、他の生命に同化するのだ!」と言われたほうが、なんだかよくわからないなりに、なんか、わかるような気もする、いい感じの「理解」になる。とりあえず、「同化? やだ、同化されたくない! なんだかよくわからないが同化されたくない、逃げろ!」と本能的に思える語感がある。そう考えると、この訳語、「同化」には、「火事だ!」とか「人殺し!」とかいった言葉と同じ、「緊急事態の際にも伝わりやすいヒトコト」となっているのでした。「物体エックスだー!」とか「同化されるー!」とかいう悲鳴が近くで聞こえたら、誰だって、逃げるでしょう?

ところで、本作について、私の中には積年の疑問があります。物体エックスに「同化」されてしまった人間については、人間だった頃の記憶や知識が継承されているように見えるのですが、本人の「意識」も継承されていたり、するのでしょうか? 私としては、「継承されている」と予想しているし、そのほうが本作のホラーとしての怖さも増す解釈と思っているのですが、いかがでしょう?

映画『リバイアサン』で英語を学ぼう!

『物体X』になりたくてなれなかった深海モンスター(!)が登場。日曜洋画劇場を観て育った世代には間違いなく伝わるはずのB級テイストのフルコースディナー!

いかにも「怖いだろー?」と言いたげなシンセサイザー音が「ミヨヨヨン」「ジャカジャーン」と鳴り響くオープニングクレジットから、もう、たまりません。80年代ホラーですね!

物語が始まれば、ロボコップに出ていた人とか、ランボー2に出ていた人とか、ゴーストバスターズに出ていた人とか、80年代ハリウッド映画に通じている人なら懐かしい顔ぶれが続々と出てくる。B級映画通なら、「だいたい、この人が最初に死んで、二番目がこの人で、この人とこの人は生き残るのかな」と予想がつく。だいたい、その予想も当たる。

・・・などと書くと、なんだかバカにしているようですが、とんでもない!

私はこの『リバイアサン』というホラー映画を、とても高く買っているのです。

深海基地、という密閉された空間で、どう考えても『遊星からの物体X』に感化されたとしか思えない「変幻自在グチョグチョピクピク」なモンスター(日本の漫画でいえば『寄生獣』みたいなやつ)が、一人また一人とクルーを襲っていく。と、ありがちなホラー映画なのですが。

本作、日曜洋画劇場で放映された際、小学生だった私をかなりビビらせてくれた、少なくとも私の記憶の中では忘れがたい逸品なのです。タイトルロゴを見ただけで子供時代の恐怖心が蘇る! これぞプルースト感覚とでもいいますか、いやそれは言い過ぎか。

何がそんなに怖いのか。

このモンスターの、設定が、です。

このモンスターの「設定」は、、、残念ながら表現力が追い付いていないところがあるので、「設定だけ」は、というべきかもですが、、、他のホラー映画のモンスターたちが超えられないはずの限界を、かるく、突破している。

それは、こういうことです。どんなホラー映画でも、けっきょくのところ、「死が怖い」という限界は超えられない。チェーンソーでぶった切られようが、オノで頭を勝ち割られようが、「痛そう」とか「苦しそう」とかいう違いはあれど、いったん殺されたキャラクターはそれで退場。「死人」として扱われます。死んだら、仏様です。そりゃ当然ですよね。

ですが、本作品のモンスターに襲われた場合は、死ねばおしまい、というわけではない。殺されたあとのほうが、恐ろしい。

詳細な説明が映画の中でなされているわけではないのですが、いろんな状況から判断するに、この映画に登場するモンスターは、どうやら、殺した相手を吸収してしまうようなのです。吸収ってなんのことか? ドラゴンボールでいう魔人ブウの吸収を思い起こしてくれてよいのですが、殺された人間が遺伝子レベルでモンスターと融合してしまう。グチョグチョネバネバした怪物の体の一部に自分がなってしまう。早い話が、殺された後に、自分の頭部だけがモンスターの体から生えていて「苦しいよお」な表情を浮かべて悶々としている。これはイヤだ。しかもどうやら、モンスターに殺されるのが嫌だから自殺した人も、取り込まれた後は、けっきょく、モンスターの一部として生かされてしまっているらしい。これは反則技!

殺される恐怖を超越して、「バケモノのカラダの一部になって生き続ける恐怖」を演出した、とんでもない設定のモンスター。このアイデアは秀逸であり、小学生時代の私は震え上がるほど怖く、それゆえに夢中になって本作を(日曜洋画劇場で)徹底鑑賞してしまったのですが、その設定を活かしきれていない脚本や演出がなんとも残念(決して脚本や演出が下手なわけじゃないですよ。しかし、なんというか、やはり、、、すべてが、B級テイストなのです)。

でも、あえて、オススメしてしまいましょう。面白いのですよ、これは!怖いのですよ、これは!

主人公たちの所属する会社が悪徳企業だったり、鬼上司の狂った判断が事態をますます深刻化させていく引き金になったり、ウォークマンを聴いていたために後ろから忍び寄る影に気づかないタンクトップ美女というお決まり事があったり、とか、そんな何から何までの80年代のB級テイストには、なつかしさに涙が出てくる、、、はず、です。

本作の気になる英語表現

この作品を英語で鑑賞することで是非、学んでほしいのが、遺伝子変異系のモンスターに襲われた時に便利な表現。いざというときのため、以下の単語は、特に、是非、覚えておきましょう。

Genetic alteration

深海基地に滞在しているとき、ドクターが、深刻な顔をして、あなたにこう言ってきたとします。「なあ、、、信じてもらえないかもしれないが、、、あの死体を調べたんだが、見たこともない遺伝子構造を見つけたんだ。きっと、、、genetic alterationに違いない」

そこで、「genetic alterationって何?」と聞き返していたら、あなたはたぶん「次に殺されるウザイ東洋人キャラクター扱い確定」ですよね。そうならないための英語力です!この例にかぎらず、ホラー映画の世界に紛れ込んだら、間違っても「モンスターの能力を説明するきっかけを与えるアホの子属性」の役回りを取ってはいけません。次の犠牲者フラグが経ちます。

genetic alteration=遺伝子変異。

「これはgenetic alterationに違いない!」と叫べる知性派ポジションをさっさと取ってしまえば、あなたの生き残り率は多少は上がるでしょう。少なくとも、最後から二番目に殺されるくらいの役回り、クライマックスにモンスターに一矢報いる程度の見せ場があるキャラクターには、なれるでしょう。

その他、面白かった表現が、こちら。

Don’t fuck with Mother Nature!

「母なる自然を✖︎✖︎✖︎するな!」な毒舌。このセリフはどう使うのか? もちろん、遺伝子変異を起こすバケモノを生み出した科学者や悪徳企業に対して毒づく時に使うのです。まさにこの手の映画で使いたい英語表現筆頭ではないでしょうか? F✖︎✖︎✖︎ワードに、マザー、がかかっているという、ちょいとした駄洒落にもなっておりまする。

RとLの発音に困った時に効くおまじない、「札幌とろろラーメン」

魔法のおまじない、「札幌とろろラーメン」。特に、それを、会社の帰り道(一人で歩いている時!)などに、「札幌とろろラーメン、札幌とろろラーメン・・・」と繰り返す練習。

これは本来、スペイン語学習のための「コワザ」なのですが、僕の経験上、英語の練習としても、かなり、効きます。その経験があるので、ぜひ、ここで、紹介させていただきたい。

なんの話かというと、日本人にとって苦手な、「R」と「L」の発音の差別化の練習です。実は、これを英語の練習としてやるのは、ちょっと難しい。というのも、アメリカ英語やイギリス英語、はてはスコットランド英語など、それぞれの国や地域の「英語」で、「R」と「L」の発音体系は異なるので、「どの国の「R」と「L」の発音が日本人の練習によい」というのは、なかなか、いちがいに、言えないのです。

ですが、スペイン語の場合は、「巻き舌のR]という、また別の発音の問題があるので、ちょっと傾向が変わります。

スペイン語の「R]は(単語の中の出現位置にもよるのですが)、ものすごく強調した巻き舌で発音するのです。これは、そもそも、日本人にとって、練習を繰り返さないと、できない。

その練習の為の秘策として伝わるのが、冒頭の、「札幌とろろラーメン」。

まずはこの言葉を、早口言葉のように、繰り返し発声してみましょう。すると、「とろろ」のところの「ろろ」のところが、スペイン語の「rr」音になります。巻き舌の先が、「ロロッ」と、口内の上口蓋のほうをたたくような動きになる。これがスペイン語のrr音の練習になるのですが、スペイン語の(単語頭の)「r」の音も、基本的には、同じ練習でいける。

つまり、迷った時は、こっそり無声で「札幌とろろラーメン」の発生の時の口の動きをやってみて、「とろろ」のところで、r音を出すわけですね。「ロベルト」さんを呼びたいときは、

「((※無声で)札幌とろ・・・)ロベールト!」です。

このおまじないのいいところは、「ラーメン」という言葉も入っているところ。『札幌とろろ、と前につかない、普通の「ラーメン」の「ラ」の音がLの音』と覚えておけば、rとlの違いにより気をつけられるおまじないになる。

これは、スペイン語の練習ですが、英語の練習にもいいことが。スペイン語ではこのように、rとlの音が明確に違うので、自然、そうほうの音の違いに自然に気をつけるようになる。その状態のまま英語の勉強をやりなおすと、rとlの使い分けにとても注意しながら話すクセがついたまま、英語を喋れるようになるわけです。

ただし、この練習をやると、なんだか「スペイン語訛りっぽい」英語には、なってしまうかもしれません、、、。

「スペインに行ったことがないスペイン語講師」の著したスペイン語本の内容に、すこぶる感動した話

本日、ご紹介したい本、『語学の西北』は、これはただの語学書ではありません。いちおう、スペイン語に関するお役立ち雑学をたくさん仕入れられる構成にはなっておりますが、スペイン語学習者よりも、どちらかといえば、「言語とは何か」「異文化理解とは何か」について真面目に考えたい人にオススメな本。文体は軽いが、中身はかなり深い、エッセイ本といったほうがよい趣のものです。良くも悪くも著者のキャラクターがぐいと前面に出ているので、この本に共感できる人とできない人は、ハッキリ分かれるかもしれませんが。

『NHKスペイン語講座を担当していたこともある著者、後藤雄介氏は、「スペインに行ったことがないスペイン語講師」と本書の中で自己紹介してくるような、なかなか剽軽な方。たしかに、そう聞くと一瞬、「珍しい」と思ってしまうが、よくよく考えれば、当たり前。つまり、この方はラテンアメリカ研究が本職であり、スペイン本国にはまるで縁がないまま生きてきたというだけのこと。にもかかわらず、「大学でスペイン語を教えています」というと「最近のスペインのほうはどうですか?」と聞かれることにご本人もゲンナリしている。

「そもそも、スペイン語という呼称がおかしいのだ。これだけ、スペイン以外の広い国と地域で話されている言葉なのだから。たとえば、『大学で英語を教えています』と言っても、『ならばイギリスに詳しいのですよね?』とは聞かれないだろう。スペイン語も、英語と同じく、もはやスペインという国とはまるで関係ないだけの広がりをもった国際語なのだ。そのことがイマイチ理解されない」というのが、著者の言いたいことだろう。このあたりは、私も、とても共感、、、。

それにしても、この著者は、ペルー留学というなかなか珍しい体験をしている人で、笑いあり涙ありの「ペルー学生生活の思い出話」が語られる中盤がめちゃくちゃ面白い。それも、「ペルーというのは日本と比べて遅れた変な国だった」という話にはならず、「ペルーから帰ってきたら、むしろ日本の悪さに気がついた」という論点で後半が語られる。これは、本当に、偉いと思います。日本人なら無意識のうちに「ラテンアメリカは遅れている」というステレオタイプを持っていますが、それと戦ってくれている。結論から言えば、ペルーのほうが人間や社会が暖かく、そこから帰国してみると、日本人社会というのが意外なほど弱者に冷淡で窮屈だということに初めて気づいた、ということなのですが。みんなの共感を得られる話ではないかもしれませんが、少なくとも、私は、めちゃくちゃ共感しました。日本人って、よくよく細かくみると、ウワベはとても優しそうでいて意外に冷たい、、、いや、ここでは、やめておきましょうか。

いちばん、共感してしまったのは、中盤に出てくる、「語学継続の意味について」という章。

『変わる』ということ、変わった自分に気づくということこそが、語学を、ひいてはなにかを学ぶという行為を通じて得られる成果のひとつだと僕は思っている

などという、心から共感できる名言がバンバン出てくる。上の引用なんて、私のこのブログのスタンス説明にそのまま使いたいようなテーゼです。

既存の自分の生き方を強化するためではなく、何かに「変わりたい」ためにやるものではないですか、外国語というのは? 少なくとも私はそういう、モチベーションでやっております。