外国語が上手くなりたいなら、お寺で早朝写経をやろう

どこの宗派の何というお寺かは、この際、どうでもよろしい。ともかく、関東の、某名刹にて、早朝写経会なるものがあったので、参加してきました。前からこのブログで何度も述べている通り、仏教の修行というものは、外国語学習に、「効く」と確信している私のこと。朝早く起きて(本日は四時起き!)、まだ寝静まる東京の街を自転車で駆け抜けて、お寺のご住職、ならびに他の写経会参加者の皆様にご挨拶をして、時間の間、黙々と、無心に、お経をなぞり続ける。

早起きだけでも気持ちが良いのに、漢文の筆写で無我無心の状態になる。トランス状態、というのとは、まったく逆に、手元の筆の動き以外は何も見えないような、「超覚醒」状態のような、不思議な心持ちになる。これがとても、気持ちのよいものでした。怖いところもありますが。でも、仏教の修行とは、どれも本来、「怖さと表裏一体」ではないでしょうか。

ご住職のアドバイス。「写経によって、無心になることは、人生のマイナスだけでなく、プラスも含めて、すべての荷物をいったん下ろして、負荷ゼロの状態になることなのです」。マイナスの想いを人生の「重荷」とみなして降ろすだけでなく、プラスの想いもまた「重荷」として降ろす感覚というのが、実に面白いと思いました。

考えてみれば、外国語を本当に必死にやっているときに邪魔をしてくるのは、「母国語による雑念」。

母国語をも「いったん降ろして、言語ゼロになる」体験を積めば、それは外国語学習にはたいへんに資する話でしょう。そういう観点からも、やはり、仏教の修行と外国語学習とはメソッドの面で親和性が高いのではないでしょうか。

などと考えながら、寺院の境内を出て、眠りから覚めて動き出した街の中に舞い戻ってきた、そんな早朝の体験でした。

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