アルゼンチン人のスペイン語についてのマニアックな話

第二外国語、第三外国語と、学ぶ対象の言語を増やしていくにあたり、決定的に大事なこと、、、それは結局、英語のスキル、ということになります。このことは、本当に、最近、痛感します。スペイン語を勉強している中で、「スペイン語の方言はどのような状況になっているのだろうか、たとえば僕はアルゼンチンにずっと興味があるが、『アルゼンチン訛り』というのはどのようなものなのか」を調べたい、となったとしても、日本語で調査するのはどうしても、限界があります。

けれども、英語ができれば、別の言語のマニアックな調査も、すいすい進む。

私自身も、「一冊まるまる、アルゼンチン訛りのスペイン語のことを紹介している本なんてものは、さすがの英語圏にもないだろうな」と勝手に思っていたのですが。ありました!

まさに、「アルゼンチン人のように語ろう!」をテーマにした一冊。

アルゼンチン人固有のボキャブラリー、発音の訛り、文法の違いから、最後には話している最中のアルゼンチン人の身振り手振りの意味まで(!)懇切丁寧に書いてある、凄い本。これはとても、参考になりました。

ここで、ざっと、雑学ネタとして、アルゼンチンのスペイン語の特徴を私なりに整理すると、

・二人称親称(英語でいうyou))に、vos、という特徴的な代名詞が使われる(これはスペイン語の本国では、古典時代に使われていた二人称。本国スペインでの扱いとしては、日本語で言えば「なんじ」とか「貴公」とかのような、古臭い呼びかけの言葉になっているものが、新大陸側のアルゼンチン側のほうでは普通に今でも使われている、という、一種の逆転現象として、面白い)

・動詞の二人称の活用形に、標準スペイン語とは違う活用がある

・命令形の活用(というか読み方)が標準スペイン語と違う

・そして、これが決定的に面白い違いですが、単語の最後に”d”とか”s”がくると、発音しない傾向がある。さっき登場したvosも、「ボス」とは言わず、「ボー」と間延びしたように読み、sの音は入れない。これが、アルゼンチンのスペイン語を聴くと、なんとなく、ややフランス語に似ているような印象を受ける原因になっている

うーん、確かに、、、あまりにマニアックな話で、そうとうアルゼンチンに興味がない人には、どうでもいい話題ですね、、、w。

それにしても、表紙に描かれている、ヒゲのやけに濃ゆい青年のイラストは何なのでしょう(本編の挿絵にもちょくちょく登場してきます)。これが、英語圏でいう、「アルゼンチン人」の典型的なイメージなのでしょうか。ヒゲが濃ゆくて、ちょっと軽そうな、、、。

外国語が上手くなりたいなら、お寺で早朝写経をやろう

どこの宗派の何というお寺かは、この際、どうでもよろしい。ともかく、関東の、某名刹にて、早朝写経会なるものがあったので、参加してきました。前からこのブログで何度も述べている通り、仏教の修行というものは、外国語学習に、「効く」と確信している私のこと。朝早く起きて(本日は四時起き!)、まだ寝静まる東京の街を自転車で駆け抜けて、お寺のご住職、ならびに他の写経会参加者の皆様にご挨拶をして、時間の間、黙々と、無心に、お経をなぞり続ける。

早起きだけでも気持ちが良いのに、漢文の筆写で無我無心の状態になる。トランス状態、というのとは、まったく逆に、手元の筆の動き以外は何も見えないような、「超覚醒」状態のような、不思議な心持ちになる。これがとても、気持ちのよいものでした。怖いところもありますが。でも、仏教の修行とは、どれも本来、「怖さと表裏一体」ではないでしょうか。

ご住職のアドバイス。「写経によって、無心になることは、人生のマイナスだけでなく、プラスも含めて、すべての荷物をいったん下ろして、負荷ゼロの状態になることなのです」。マイナスの想いを人生の「重荷」とみなして降ろすだけでなく、プラスの想いもまた「重荷」として降ろす感覚というのが、実に面白いと思いました。

考えてみれば、外国語を本当に必死にやっているときに邪魔をしてくるのは、「母国語による雑念」。

母国語をも「いったん降ろして、言語ゼロになる」体験を積めば、それは外国語学習にはたいへんに資する話でしょう。そういう観点からも、やはり、仏教の修行と外国語学習とはメソッドの面で親和性が高いのではないでしょうか。

などと考えながら、寺院の境内を出て、眠りから覚めて動き出した街の中に舞い戻ってきた、そんな早朝の体験でした。