AIの進化がどうなるかわからないから不安?よし、外国語をやろう!

本当に、毎回毎回、しつこいようですが、弘法大師空海さんが、どうも、好きです。

それも仏教の偉人というよりも、外国語学習の一大先輩として崇敬しております。つまり、「偉いお坊さん」として畏怖する感覚はあんまりなくて、それよりは、どんなライフスタイルと自己管理をしていた人なのか、という好意と好奇心で、ついていっています。まあ、アスリートのおっかけみたいなもんです。

ただし、空海さんの真言密教に好奇心を持ちながら外国語修行をしていることには、現代社会を生きる上で、大きな効用もある。

外国語をやっているとどうしても聞こえてくる、「いずれは機械翻訳が発達するから、外国語の知識など無用になるだろう」とか「大半の言語は百年後には絶滅しているだろう」とかいう雑音、これが、真言密教の近くにいると、まるで気にならない!

「今日、必死で六時間も勉強したことが、明日には無駄になるかもしれない?そりゃそうでしょう。そんなことは百も承知でガリ勉をしておりますので」と鷹揚に返せるようになりました。若い頃はそれなりに、「オレが必死に勉強していることに、意味はあるのだろうか」とか迷ったこともありましたが、最近は、全然、ちっとも。

外国語を猛勉強するのは、それによって自分がどんどん新しいものに変わっていけるからで、「外国語を話せるんだぞ」と周囲に自慢したいからでも、勉強量をみせびらかしたいからでも、もちろんモテたいからでもない。それらは私の中にもたまに起こる欲望ですが、しょせん全部、煩悩だ。もっと言ってしまえば、ホルモンの影響による、ただの脳の勘違い。

真言密教ついでに話をすれば、私は昼間は東京都内のIT企業で働くサラリーマンですが、職業上、AIの最新技術については情報を仕入れたり、研修に参加したりしております。そういう場にいると、たしかに、AIの最近の進歩はめざましく、凄い。

けれどもこれが最近は、現代社会に生きる私たちの、不安の種にもなっているのではないでしょうか。もちろん、AIが人類に何をもたらすかといえば、きっと、いいことと悪いこと、両面をもたらすのでしょうから、いちがいに怖いとばかり言っていても仕方ないのですが。でも、「どうなるか読めないこと」は、やはり、誰にとっても、不安の種でしょう。

しかし、驚くべきことながら、真言密教の近くで勉強していると、未来に対するそういう不安もずいぶん薄らぎます。

というのも、よくよく考えれば、真言宗の究極は「即身成仏」ですから、

AIが人間を越えようが、

バイオテクノロジーが地球の環境を塗りかえようが、

不老不死がもたらされようが人類がサイボーグになろうが、火星やスペースコロニーに引っ越そうが、

「何があろうと、仏様を目指して精神の鍛錬をみんなで続けましょう」と考えてればいいのだから、何の影響もない!

いや、むしろ、AIやら人類サイボーグ化やらが進むことで、人類全体がより高次の(有徳で慈愛に満ちた)精神的な存在にレベルアップするならば、それはそれで、いい未来なのではないか、とも思えます。←この考え方は、「テクノロジーを使えば仏教修行のドーピングも可能」という理屈なので、仏教に詳しい方からには怒られてしまうかもしれませんが。。。でも、人類が、高次の精神にレベルアップするテクノロジーがあるなら、試すべきではないでしょうか。ただしそれは、経済格差や社会階層に関わらず、試したい人が誰でもアクセスできるテクノロジーでなければ駄目ですが。

それにまあ、本当にAIやらバイオテクノロジーやらの暴走で、地球が危機に瀕すれば、

日本人はみんなで、高野山を中核に、和歌山奈良あたりの山中に立てこもって、ゲリラ軍として生活しながら、やり過ごしましょう。ここについても、高野山とその背後の奈良山地は、南北朝の戦いの時にかなり長期持ちこたえた実績があります!

え?南朝は結局負けたって?いやいや、あれは名誉ある引き分けです!何をやるにも、人と争う時に勝ちを取りに行ってはいけません。いつだって、おいしいのは「名誉ある引き分け」決着なのですから。

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