空海さんに見倣う外国語習得方法の話

先日の「偶像崇拝禁止をあえてやってみよう!」の話の続き。

ますます思うこと。世の他の人たちはどうであれ、流行がなんであれ、少なくとも私は視覚よりもひたすら「活字」愛好家として、行きつけるところまで生き方を極めつくしてみたい。毎日、英語やらスペイン語やらの多外国語の練習をしていると、「文字」というものそのものの持つ魔力の虜になっていくのです。これがいいことなのか悪いことなのかはよくわかりませんが、少なくとも私は、視覚メディアに触れる時間をダイエットのように管理して切り詰め、できるだけ「文字」とにらめっこをしている時間を長くすると、どんな豪快なハリウッド大作の映像よりもずっと深い精神の領域にトリップすることがあるのことを知っているのですから。ちょっとこの論点は危ないでしょうか。

外国語学習をやればやるほど、精神がぶっ飛んでいく感覚について、思い出すことがひとつ、あります。

子供の頃に愛読していた本の一つが、いわゆる「まんがで読む偉人伝」の類。学習漫画というやつですね。ただ私の場合、織田信長とか豊臣秀吉とかよりも、弘法大師空海さんの伝記漫画に圧倒され、決定的な影響を受けました。中国語をマスターして長安でデビューし、インド人僧侶からサンスクリットの手ほどきまで受けてそれもマスターし云々という、外国語習得についてマルチな才能を発揮するあたりが、子供心に、とても恰好いいと思ったわけです。

日本を武力で統一するにも、そりゃ、すごいですが、

平安の世という段階で世界の数か国語を究め尽くし、そのスキルでもって当時の最先端の宗教哲学を翻訳(あるいは翻案?!)してしまったほうが、少なくとも私の感受性においては、格好よく映ったわけです。

その学習漫画には、とても印象深い場面がありました。まだ若い修行僧だった空海さんが、あるマントラを丸暗記して、それを山籠もりをして何千回も何万回も、ただただ、ただただ、日々、暗唱を繰り返していく、というところ。大人になってから調べると、虚空蔵求聞持法という修行のやり方だそうですね。このマントラを百日間で百万回暗唱することで、超人的な知力が備わる云々、、、という触れ込みは実はどうでもよくて、肝心なことは、少なくとも空海が仏教修行に励んだ時代にはこのような修行方法が日本にあって、空海さんもチャレンジしたらしい、ということ。

変わった子供だった、と言われることは覚悟で明かしますが、少年時代の私、学習漫画に出てきた空海さんのこの修行になぜか憧れて、いつか自分もやってみたいな、と思ったのです。なぜそう思ったのかは、今ではよくわかりません。異様に格好いいな、と思ったのです。子供心に。

しかし、同じ言葉を何度も何度も暗唱していくと、頭痛がしても、夢にうなされるようになっても、歯を食いしばって何度も何度も暗唱していくと、突然、何かがはじけるように脳がクリアになる、という経験は、確かに今の私にも起こることなのです。特に、外国語を学んでいる時に、スランプに陥ったら、何らかの外国語の文章を丸暗記して、それをぶつぶつ、ひたすらに暗唱していくと、突然ブレイクする瞬間がある。

空海さんにかこつけるほど仰々しい話にする必要はないのかもしれませんが、

外国語の文章を丸暗記して、意味も感受性も放逐した状態で、ただひたすらに暗唱をしていくと、スキルがブレイクする、というのは確か。ひょっとしたら空海さんが外国語の天才だったのは、若いころに仏教修行で実践した虚空蔵求聞持法を応用した外国語学習術(暗記と暗唱!)を開発していたからなのではなかろうか、などと、推測してしまうのでした。

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