真面目に外国語学習を進めていくと偶像崇拝禁止に納得してしまうようになる話

とくだん一神教徒ではないけれども、ただひとつ、いわゆるユダヤ教イスラム教で言われるところの「偶像崇拝の禁止」という戒律には、とても共感を持っています。不思議な話に聞こえるかもしれませんが、外国語の勉強を、熱心に、長年やっていると、だんだん、偶像崇拝の禁止の「効用」がわかってくるのです。つまり、「視覚」というものに、なんでもかんでも頼ってしまうと、見逃してしまうナニモノかが、この世界には、確かに、ある。

別にオカルトの話をしているわけではありません。

現代人が、電車や飛行機や車の便利さに慣れすぎて、歩く機会が減ってくると、それによって昔の人では考えられなかったような成人病に悩まされるように、

今の時代、なんでもかんでもが「視覚」で与えられ、説明されることに慣れすぎて、「言葉だけで理解することのできるもの、感じることのできるもの」の領域への不感症のようなことが起こっているのではないでしょか。

特にそんなことを思うようになったのは、僕にとって大事なファンタジー小説の金字塔、『指輪物語』について、ある時期から、ファンの描くイラストや、舞台となっている「中つ国」のイメージが、完全に、映画『ロード・オブ・ザ・リング』に洗脳されきってしまっているのを見るようになったから。最近はなんでもかんでも、すぐ映画化やコミック化をされてしまい、出来合いのイメージが誰かから与えられてしまっている。それがすべて悪い、といっているわけではありません。僕だって映画の『ロード・オブ・ザ・リング』は好きだ。ですが、あの映画を見る前に、自分の力で原作小説を読み込んだ時に作り上げた「自分だけの中つ国のイメージ」というものが、確かにあって、それは自分の中にとても漠然とした(それだけに可能性にも満ちた)イメージとして存在していたため、それがどんなものかを他人に共有することは不可能で、自分で思い出すのも、指輪物語の小説をもう一度最初から読み直さないと思い出せない。そんな不可思議な状態で存在している「わたしだけの中つ国」があったはず。映画版を見たからといって、子供の時から培ってきた、その「わたしだけの中つ国」を失いたくはなかったので、かの映画が出た後の僕は、原作小説を読むときは、なるべく、「あたかも映画版など見たことがないかのように」自分に言い聞かせてから、読むようにしている次第です。それでも、どうあがいても、僕の頭の中でのガンダルフの顔は、しばしば、どうしてもイアン・マッケランの顔に似てしまって、困ってしまいますが。視覚イメージというものがどれだけ強烈か、という証左。

たかが、ファンタジー小説一本をめぐっても、こうなのだから。聖書やら、神曲やら、日本でいえば平家物語やらといった、「そもそも視覚イメージで量産されるような読まれ方を想定されていない」はずの古典作品を、昔の人と同じように、「言葉だけで構築されるイメージの世界」を紡ぎながら読むというのは、現代人にはとても難しくなっているのではないか。

でも、こう考えればいいのかもしれません。

お酒を飲むことに寛容な今の時代に、あえて「健康のためにお酒を主義として飲まない」生き方がアリなように、

電車や車や飛行機など交通手段がいくらでもある今の時代に、あえて「健康のために自転車をできるだけ使う」生き方がアリなように、

映画やコミック化されているとわかっている小説を、あえて小説版だけ読んで、視覚メディアのほうはできるだけ無視する、という生き方もアリなのではないでしょうか? 外国語で本を読む、という試みを必死に追ってきた僕にとっては、その生き方は、とても健康的であること、それは保証できるものだからです。肉体のダイエットのように、「できるだけ言葉だけで情報を仕入れ、言葉だけで想像の世界を開拓する」という昔ながらのメディアとの付き合い方に専念することは、精神をシャープにしてくれる。いわば、断-視覚メディアダイエット!

そもそも、中東の一神教でいう偶像崇拝禁止のココロも、真に神秘的なものは人間の認識能力(視覚だろうが聴覚だろうが)を越えているので、接近するには言葉を通じての深い観想を通じてでしかない、というところにあったのではないでしょうか。

そう考えると、仏教の殺生戒(たとえ小さな虫でも殺すな)とか、イスラム教の飲酒禁止とかは、私には真似できそうにないけれども、偶像崇拝禁止という意外なものは真似できるかもしれないし、その効用もおおいにあるのではないでしょうか。

などという考え方に、僕は宗教や神話の研究ではなく、外国語学習の積み重ねから到達してしまった次第です。だから、仏教でいう空海さんとか、ドイツのハイデガーだとかのような「論理に論理を重ねることで、論理を越えたナニモノかを語っている」ようなスタイルの本が、この年齢になってからなおさら、好きになっています。ちょっと危ない人と見られていることは、これはもう、覚悟の上の、生きざま。

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