杉本つとむ氏の著書『長崎通詞ものがたり』の読後感に胸が熱くなった話

「通詞」と書いて、「つうじ」と読みます。

江戸時代のことばで、今でいう「通訳者」「翻訳者」のこと。江戸時代といえば、鎖国のおかげで、日本と交易が許されていたのは、長崎に寄港する清国とオランダのみ。ゆえに、この時代の「通訳者」「翻訳者」の花形といえば、中国語とオランダ語となります。

直観的には、この時代の「通訳者」「翻訳者」などといったら、たいへんなエリートで、幕府に手厚く保護されながら、決められた通訳業・翻訳業を、のんびりやっていた人たちなのだろうな。。。と、勝手なイメージを持っていたのですが。

この本を読んで、認識を改めました。「江戸幕府の役人の通訳なんて、レベルも低いだろうし、たいしたことないだろう」というのは、完全に、ステレオタイプでした。

むろん、本書は歴史書ですから、残念ながら実際にも、たいした語学力もないのに、賄賂や密貿易に明け暮れる、やくざまがいの悪党通詞の記録も紹介されてはいるのですが、

全体的には、感動的な話が多い。この時代に長崎で通訳翻訳をやっていた人たちというのは、純粋に「外国の知識を輸入することが、よのため、ひとのため」と考えて、ものすごい勉強量をこなしていることが読み取れる。特に、オランダ語をやる、ということは、オランダ人が持ち込んでくる西欧文明の根底にまで迫ることだと理解していた人々は、プラトンやアリストテレスもどうやら読みこなし、数学化学天文学、ありとあらゆる「西欧の科学」を勉強していた。行ったこともないはずの西欧のことを、よく知っていた。それらすべて、「勉強をすれば、ひとのためになるから」という無私の精神からきているガリ勉ぶりであることが、いかにも江戸時代らしい気概で、なんとも、すがすがしい。

そりゃそうかもしれませんね。この時代、たとえば、オランダ語の医学書を一冊翻訳することに成功すれば、それだけで日本の医学技術がぐんとレベルアップし、昨年までは助けられなかったような難病も治せるようになる。翻訳をがんばればがんばるほど、日本の産業や衛生医学のレベルが上がっていく。そういう意味で、通訳や翻訳に対する社会の期待は、現代と比べ物にならないほど高く、かつ、やっている人も、歴史に参加しているという熱さをもってやっていた。

もちろん、日本という国がまだ若かったから、可能だった話。今の時代、外国の何かの本を一冊翻訳に成功しただけで、国家レベルでの偉業として絶賛される、なんてことは、ない。そういう意味では本書は、日本における「外国語習得の歴史」の、もっとも幸福な時代を描いている本、といえるのかもしれませんが、

いっぽうで、本書を読むと、これだけネットやテレビやらのおかげで外国語が身近になっている僕らが、「どうも日本人は英語が苦手で・・・」などと言っている場合ではないな、がんばらなければな、と襟を正してしまいます。僕らはお侍の時代に生きてはいませんが、どうせ外国語をやるなら、この時代の「通訳侍」たちの熱い志を何らかの意味で受け継ぐ気概で、やりたいな、と、僕のやる気もガン上がりした読書経験となったのでした。

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