山岡洋一氏の著書『翻訳とは何か—職業としての翻訳』の読後感がとてもよかった話

いい本を、読みました。

山岡洋一氏の『翻訳とは何か―職業としての翻訳』です。

副題の「職業としての翻訳」は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』を意識しているものと思われます。ヴェーバーの本も、読者に「世の中は甘くないんだぞ」とガツンと言ってくれる有意義な本であり、若いうちに読んでおくべき名著と思っておりますが、こちらの山岡洋一氏の本書も、いい意味で読者の甘えを断ち切ってくる迫力に満ちた、現代ではなおさら希少な名著といえるのではないでしょうか。

・翻訳というのは甘いものではない。

・単に語学ができるだけではダメで、日本語力がないといけない

・それでいて、収入は期待できない。これで生涯食っていけている人など少数の、向かいの少ない世界

・だがそもそも、翻訳というのは、「外国語で書かれたものをより多くの人にも読んでもらいたい」という教育的な精神で成り立つものであり、お金ではない文化的な意義を理解できる人間が試みるべき職業である。

うわあ、厳しい、、、w。おおよそこのような議論が累々と展開されている本と思っていただければよいかと。ひとことで言えば、昨今の「翻訳スクール」などに毎年何万人も集まってくる、「翻訳なら私にもできるかと思って、応募してみました、ヨロシクオネガイシマス!」な軽いノリの人々に対して、「翻訳を嘗めてんじゃねえよ」とパンチを食らわせてくれる本、というところでしょうか。

「翻訳というのは、もともとは、もっと崇高な目的意識があって、出てきた職業のはずでは?」「そもそも、世界には、『英語の本が読みたければ英語を勉強しなさい』と冷たく突き放すだけの国もたくさんあるのに、日本などうしてこんなにも親切に、あらゆるものを日本語に訳して出版してくれるのか、ないし、それが当たり前の文化になったのか?」そう問いを投げかける著者は、議論を明治維新にまで遡らせます。結論としては、ここで、「外国人の指揮官を雇うことで様式化を行なった幕府軍」が、「外国の文献を翻訳して自己流に解釈し、和洋合体の軍隊を作った薩長軍」に敗れたことが、決定的に重要だったということ。「いかに西欧のテクノロジーが優れていても、それをそのまま移植してもダメで、日本流にアレンジする必要がある」、この精神が翻訳文化であり、それは、外国語の価値を認め勉強しつつも、日本語の価値はそれはそれで大事にする、という、歴史的な選択であった。この明治維新の時の経験がなければ、日本はどこかのタイミングで英語ないしフランス語を公用語にし、日本語を衰退させてしまうという道を選んでいてしまっていたかもしれない!

・・・という歴史観は、もちろん、本書の著者の個人的な見解であり、正しいか正しくないかを問いだせば、きりがない話。ですが、「日本人はどうして英語が苦手なままなのか」というありがちなら問いに、「それは明治維新の時の選択として、『あくまで日本語を公用語として守り、ただし、翻訳を盛んにすることで外国の文化を吸収することは積極的に奨励しよう、という方針をとった結果、そこに文句を垂れて仕組みを変えたいというのであれば明治維新にまで遡る議論になるぞ」という明晰な答えを用意している本であり、とても興味深いものでした。

なによりも、私個人としては、愛読していた司馬遼太郎の『花神』が本書で取り上げられ、「実は翻訳者というものをヒーローとして扱った画期的な歴史小説である」と絶賛されているのが、嬉しかった。司馬遼太郎の歴史小説『花神』を翻訳を巡る物語として読む方法、、、なるほど!

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