誰の為の外国語学習?あるいは、どんなに勉強しても、世界の言語のほうが勝手に変わっていってしまう問題についての話

本ブログにて、現在、1959年~1964年放送の「トワイライトゾーン」の紹介と、英語学習への活用、翻訳を着々と進めておりますが、それをやっている中で思ったことがあるので、以下、雑記風に。

1980年代にトワイライトゾーンの新シリーズが放送されまして、オリジナル版にはとうてい及ばないものの、中には記憶に残る良作もいくつかありました。そのうちのひとつで、ずっと私の心にひっかかっているのが、”Wordplay”というエピソード。

ある平凡なサラリーマンが、いつも通りに会社に行って生活をしていると、周囲の人間たちの「英語」がナゾのスラングや逸脱文法だらけになってしまっており、もはや会話が通じないレベルになっている、というもの。日本で同じ内容のドラマをやるなら、

ある日、会社へ行ってみると、同僚が「はよおは! くさやはグーグーようでけた?」と突然聞いてきて、「たぶん、『おはよう、昨夜はよく眠れた?』と行っているっぽいけど、日本語としてはめちゃくちゃだぞ、最近の若者言葉か何かか?」と戸惑っていたら、どうも、日本中がいつのまにか、そんな新日本語(?!)に変わってしまっている。わけがわからなくて仕事にもならない。最後にはあきらめて、主人公も、古い日本語を捨てて、子供用の日本語絵本から、「新しい日本語」を勉強しなおすことになる・・・。

というようなエピソードだと考えてもらうと、わかりやすいでしょうか。

このエピソードが面白いのは、「でも、本来、言葉って、そんなもんだよね」と思わせてくれること。

日本語の「ら抜き言葉」問題にも象徴されるように、せっかく文法書や辞書の整理が進んでも、世の中の言語のほうが、勝手に変わってしまうことがあります。現実には言語の変化は少しずつ進むので、そんなに目立った混乱はないのですが、長期的に見れば、言語とは、しょせん、そんなもんだ、とは理解しておいたほうがいい。極端に言えば、上述した「トワイライトゾーン」のように、ある日を境に、自分の用法が突然間違いとされて、一見めちゃくちゃな用法が正式に世間に認められている、なんてことも、可能性としては、起こり得ないとは言えない。これは外国語学習においてもつきまとう厄介な問題で、本ブログの中の別の記事でもお話しした通り、これだけ世界のノンネイティブが一生懸命勉強している英語だって、ネイティブの世界では日々、どんどん、文法も語彙も変化してしまっている!

となると、外国語学習ってのは、なんなのでしょうか? どんなに勉強しても、ゴールはない。それどころか、今、勉強していることが、数年後には「今はそんなふうには言わないよ? ダサ!」と馬鹿にされるようなことにもなりかねない。少なくとも、五十年後、百年後には、勉強した内容のほとんどが、役に立たないものになるはず。

数学の勉強や、物理学の勉強、あるいはスポーツの鍛錬には、こういう「目的のフワフワ感」は起こらない。そう考えると、外国語学習というのを、「世界に通じる客観的な知識を得るため」とか「格好良くネイティブと喋って偉そうに見せたいため」とかいう目的でやるのは、長期的には、「もたない」。

結論としては、世の常識とは少し違って、外国語学習というのは実は、筋トレとか、ヨガとか、あるいはストレッチやダイエットとかいったもののような、「あくまで自分自身の為にコツコツと地味に続ける、とことん個人的なもの」と考えたほうが、よいのではないか。

世間的には、外国語学習の目的と言えば、「コミュニケーションのため」とかいう言い方になりがちなのですが、それが、多くの人が挫折してしまう理由なのではないか。「外国語学習は、一種の精神修養のようなものであり、海外の方とコミュニケーションがとれるようになるのは、嬉しい効果だが、あくまで副作用でしかない」と考えていないと、どうしても、むなしくなってしまう。

まぁ、精神修養とまで、難しく考えず、「外国語学習とは一種の脳トレなんだ」というとらえ方でもよいかもしれません。

何が言いたいかというと、私の感想ですが、「『外国語学習というのはコミュニケーションの為にやっている』という考え方は、実は受け身な発想で危険であり、『自分自身の地頭を鍛える、一種の精神修養のようなものとしてやっている』という考え方のほうが、主体的で、モチベーションの継続もできる発想なのではないか」、ということ。むしろ、言葉というものの本来のワケのわからなさを鑑みると、この発想こそ、唯一の安全な付き合い方なのではないかな、というお話でした。

こういう話を突き詰めると、なんだか哲学的にすら、なってきます。もちろん、興味があるなら、ウィトゲンシュタインとかデイヴィドソンとかいった「言語哲学」と呼ばれる巨匠の本を買って、ゆっくりとチャレンジしてみてください(これも自分自身のための精神修養!)。そしてこういう、「そもそも言語ってなんだ?」という問いを追いかける時には、一見退屈そうな、アメリカ・イギリス発の哲学のほうにこそ、名著良著がある、ということも、付け加えておきましょうか。

ちょっと真面目な話になってしまいました。次回投稿より、また、トワイライトゾーンやらホラー映画やらをめぐる、サブカルな話に戻します!

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