乱れているのは日本語だけじゃない!現代英語の「乱れ」の話

「ら抜き言葉」が問題になっています。
こういう問題は、本当に、難しい。

言葉というものは、時代とともにどんどん変わっていくのは当たり前なのだから、言葉の変化に合わせて、文法も、辞書も、どんどん改変していけばいい、という見方が、まずあります。

この見方に立てば、ら抜き言葉も、ここまで広く使われている以上は、正規の文法に加えるべきだ、となるでしょう。

けれども、まさに言葉というのはその時の流行にあわせてどんどん変わってしまうものなのだから、文法や辞書だけは、一時の流行にいちいち振り回されず、「正しい日本語」の定義をしっかり守らないといけない、という見方も成り立ちます。

この見方に立てば、ら抜き言葉は、流行っているからといっても、そう簡単に妥協して正規の文法の仲間入りをさせてはいけない。そんな妥協をすればキリがなくなり、文法も辞書的定義も無意味になってしまう。ということになるでしょう。

結局、こういう話は、上の双方の見方がせめぎあう中で、「何十年も経過したが、ら抜き言葉のほうが従来の言い方よりもすっかり普通になってしまったので、そろそろ文法や辞書の定義のほうを変えよう」という気運が揃うのを待つしかない、というしかないのでしょう。

しかし、佐久間治氏の著書、「ウソのようなホントの英文法」を読んで、私は昨日、仰天しました。
乱れているのは、日本語だけではない。
現代英語もまた、どんどん、乱れている、というか、文法や辞書では説明のつかないような言い回しが日々新たに生まれて人口に膾炙している。

「言葉がどんどん変わってしまう、という問題は、日本だけではないのだなあ」、、、などと、のんきに構えているわけにはいきません。まったく身勝手な意見とは百も承知ながら、英語が乱れるというのは、日本語の乱れとは次元の違う問題をもたらすからです。
そう、、、僕ら日本人も含めた、「英語を外国語として一生懸命勉強している人たちを置いてけぼりにして、勝手にネイティブたちが文法を変えてしまうと、何十億人ものノンネイティブが大混乱に陥る」のです。端的に言うと、ノンネイティブとしては、「たのむから英語よ、乱れないでくれ!」と叫びたい(笑)。

しかし、英語こそ、使われている人口も地域も巨大なので、変化の自由自在さもハンパではない、という見方もできます。

本書に出ている例をいくつかあげましょう。こんなのがネイティブスピーカーの中では「特に違和感がない」言い回しになっているらしく。
・Tom asked Who he was.のような間接話法で、Tom asked Who was he.のような倒置を起こしてもOK。
・He laid on the streetのように、lay-laid-laidを自動詞に転用しても構わない。
・Whom do you think they’ll believe?のような構文は、whomではなく、Who do you thinkでよい。
・I got a paecel!(小包が届いたよ!)のように、gotを一種の現在形とみなしてよい(!)
中学や高校の英語の試験ではペケをつけられていた用法ばかりではないですか。とくにlie-lay-layとlay-laid-laidなんて、呪文のように繰り返しつぶやいて丸暗記させられたのに、肝心のネイティブがルールを守っていないなんて、本当に困る(笑)。

ともあれ、本書のスタンスは冷静で、「こういうふうに英語はどんどん変わっていくが、ノンネイティブがこういう言い方を格好つけて真似をしてもやけどをするばかりなので、やはり基本は学校文法において慎重に」というようなニュアンスで編集されています。正しい考え方でしょう。

ですが少なくとも、百年もたてば、僕らが習った英語とは、いろんなところが似ていない言語が「標準英語」として語られている世界になっているのだろうなあ、とは予測できます。今の僕らがシェイクスピアの戯曲を英文で読むと、文法もボキャブラリーもまるで違う別の外国語のように感じられて驚くように。