僕の娘が、二冊の絵本を読んでいたら、
片方の絵本の主人公の、女の子が、
もういっぽうの絵本の主人公の、男の子に、
お弁当のミートボールをプレゼントした。
絵本の登場人物が、フォークでお弁当の中のミートボールを持ち上げて、
隣の絵本の登場人物の、お弁当の中に、「これ、あげる!」と、
文字通りに「ページをまたいで」ミートボールを置いたのだ。
僕も驚いたし、
娘も驚いた。
そして父子とも、おおいに、その不思議な現象に喜んだ。
それは、つまり、こういうことだ。
絵本作家、スギヤマ カナヨの作品、
「ぼくのおべんとう」の中で、
主人公の男の子が、同じ幼稚園(あるいは小学校?)の女の子から、
ミートボールをもらうシーンがある。
ところが、同時出版された、
同じ作家による作品、「わたしのおべんとう」の中では、
主人公の女の子が、同じ幼稚園(あるいは小学校?)の男の子に、
ミートボールをあげるシーンがある。
一見すると、「男の子用」「女の子用」として描き分けられた別作品のようでいて、
この二冊の絵本は、実は、作中世界どうしがシンクロしていたことがわかる。
双方の絵本を買いそろえた一家だけが、はじめて、気づくことのできる、オシャレな仕掛けだ。
二つの絵本の、該当のページを並べて開いてみると、
まさに、「絵本をまたいでミートボールが移動する」不思議なシーンが完成するのだ。
僕も娘も、そんな仕掛けが隠されていることを知らずに二冊の絵本を読んでいて、
不意打ちでこのページに出会い、おおいに、感動したところだ。
「すごいね! 絵本から別の絵本に、物が動いたね! こんなことが、できるんだね!」と言うと、
娘も、それ以降、この絵本については、かならず、二冊並べて読むようになり、
ミートボールの「移動」のシーンを楽しみに、ページをめくるようになった。
仕掛け自体は、シンプルだが、僕はこういう「メタな仕掛け」の類が大好きだし、
それを二歳の娘が理解して面白がっているというのも、それはそれで、小さい子供の感受性というものの豊かに感心してしまう。