ある一人の女の子が、ある月曜日に、
数学の先生に、「日常には数学が溢れているのよ」と言われたのを、
真に受けたせいなのか、なんなのか。
火曜日から、世界が違って見える。
昨日までは当たり前にできていたはずのことが、とても不思議なことに、見える。
たとえば「8時にスクールバスが迎えに来る前に、着替えて歯磨きをして着替えをする」ことが、
とても複雑な工程を組み立てているように思える。
「24個のおみやげのケーキを、
24人のクラスで分けようとしていたら、
先生も食べたいと言い出した」ということが、
世界を終わらせるほどの怪事件に見える。
とか、とか、とか。
とてもスナオな子供の目線が、日常生活の中の「摩訶不思議な数学」に気づいていく、
そんな経験を、お洒落なアートワークで魅せてくれる、
アメリカから取り寄せた洋書絵本。
面白がるかと思って、
二歳児の娘に読み聞かせてみたところ、
「宇宙人のところが怖い」と言い出した。
本書の途中に、「二進法でしかモノを数えられない宇宙人」やら
「三進法でしかモノを数えられない宇宙人」が出てくるところがあるのだが、
そのページのビジュアルが、怖い、というのだ。
それでいて、僕がお風呂から上がってくると、
娘が一人で、当の、その、宇宙人のページを神妙な顔をして読んでいる。
怖いもの見たさ、というやつなのか。
あるいは、「二進法しか知らない宇宙人」というものに、
子供なりに何か魅力を感じたということなのか。
こうしたアート絵本を通じて、心に何か、ひっかかった一ページの絵の印象が、
この娘が大きくなって数字やコンピュータを扱うようになったときに再燃して、
数学の世界へのよき導き手となってくれればよいのだけれど。などと、ふと、思う。
それにしても、、、
二進法を説明するのに、「手に指が一本ずつしかない宇宙人」を登場させて、
ビジュアル的に右脳から理解させようというのは、良い手かもしれない。
僕も将来、娘がもっと大きくなって、「ニシンホウってなあに?」と聞いてきたら、
「手に指が一本ずつしかない宇宙人」の物語を作って、教えてあげようか、などと、ふと、思う。
それを聞いて、概念を理解してくれれば、理系への道が開かれるし、
「その宇宙人の日常生活はどんなふうなのだろう?」と余計な空想を膨らませるなら、文系への道だ。
どちらに、行ってくれても、よい。
開かれた道を、興味を持って、進んでくれるならば!